ノエル・ジョゼフ・テレンス・モンゴメリー・ニーダム(Noel Joseph Terence Montgomery Needham, 1900年12月9日 - 1995年3月24日)は、イギリスの生化学者・科学史家。勲爵士(CH)、王立協会フェロー(FRS)、イギリス学士院フェロー(FBA)。中国科学史の権威で、1983年11月29日に中国社会科学院より名誉博士号が授与される。中国ではという中国名で知られる。ライフワークであった大著『中国の科学と文明』は中国文明のみならず非ヨーロッパ文明に対する知識人の見方を一変させるほどの衝撃を西洋世界にもたらす。1900年、ロンドンに医師の子として生まれる。ケンブリッジ大学で医学を専攻。在学中、ノーベル賞受賞者のフレデリック・ホプキンズとの邂逅をきっかけに生化学を志し、発生生化学者の権威となった。1930年代後半より中国における科学発達史に関心を持ち始め、1942年から1945年まで蒋介石政府の科学顧問として重慶に滞在した。帰国後、ジュリアン・ハクスリーの推薦で国際連合教育科学文化機関(UNESCO)の創立にかかわり、その自然科学部門を2年間担当した。1948年にケンブリッジ大学ゴンヴィル・アンド・キーズ・カレッジに戻り、以後、前人未踏の中国科学史の研究に没頭する。『中国の科学と文明』の最初の巻は1954年に出版された。当初7巻で完結する計画であったが、実際にははるかに巨大になった。ケンブリッジ大学内のニーダム研究所で編纂が続けられ、1995年のニーダム没時までに16冊が出版され、そのうち少なくとも12冊はニーダム自身が書いた。その後も出版が続けられている。1965年、ニーダムはケンブリッジ大学ゴンヴィル・アンド・キーズ・カレッジの学寮長に選出された。ニーダムは若いころからキリスト教社会主義者であり、また中国に対する共感は1949年の中華人民共和国成立後も続けられた。ニーダムは、朝鮮戦争の間に北朝鮮(1952-53)の検査官になることに同意し、北朝鮮と中国北部で米軍が生物兵器を使ったと証言したことが論争を呼んだ。2008年にニーダムの伝記を書いたサイモン・ウィンチェスターは、「ニーダムは知的に共産主義にほれていたが、共産主義諜報組織のリーダーとエージェントが情け容赦なく彼をだました」と論評する。ニーダムは米国政府によって1970年代までブラックリストに載せられていた。
出典:wikipedia
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