大田原 友清(おおたわら ともきよ)は、下野大田原藩の第8代藩主。享保5年(1720年)、第7代藩主・大田原扶清の六男として大田原で生まれる(生年は享保11年(1726年)7月21日ともいわれる)。兄・建清が早世したため、享保16年(1731年)4月11日に世子に指名される。元文5年(1740年)12月21日に従五位下・出雲守に叙任される。延享2年(1745年)、父の死去により家督を継いだ。宝暦4年(1754年)9月から宝暦5年(1755年)9月まで駿府城加番を務めた。宝暦6年(1756年)に長男・寿清が早世したため、次男・庸清を世子とする。明和元年(1764年)8月、落度があって謹慎を命じられ、11月になって許された。安永4年(1775年)2月8日、庸清に家督を譲って隠居する。安永5年(1776年)7月7日、江戸藩邸で死去した。享年57。
出典:wikipedia
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