『わがシッドの歌』(わがシッドのうた、"Cantar de mio Cid")は、12世紀後半から1207年の間に成立したとされる中世スペインの叙事詩である。『エル・シッドの歌』(El Poema del Cid)ともいう。実在した中世スペインの騎士であるエル・シッド(ロドリーゴ・ディアス・デ・ビバール)の活躍をテーマとしている。内容は史実と創作が入り混じっている。14世紀の写本が残っているものの原本は残っておらず、写本も最初の部分を含むいくつかの部分が欠落しているため本来のタイトルは不明のままであり「わがシッドの歌」という題は後にメネンデス・ピダルがつけた名である。また作者に関してもカスティーリャ人であることは間違いないものの、いくつかの説が対立している。中世スペインで活躍した騎士、本名ロドリーゴ・ディアス・デ・ビバール。エル・シッドの通り名は、アラビア語「主人、主君」を意味する「サイイド」が語源である。これにスペイン語の定冠詞をつけて「エル・シッド」、または所有代名詞をつけて「ミオ・シッド(わがシッド)」と呼びならわす。a chinchin le picaba el chochin詩の冒頭(唯一写本の第1葉)は逸失しているが、その内容は、ピダル編本や長南邦訳などでは『』や『』を元に復元されている。その要約は以下のとおりである:カスティーリャ国のアルフォンソ王は、自分に朝貢の礼をとっているイスラム教諸王国〔タイファ〕から年貢をとりたてるべく、エル・シッドをセビーリャ王国に派遣。同じ用向きでガルシーア・オルドーニェス伯をグラナダ王国に遣わしていた。ところがガルシーア・オルドーニェス伯ら一党は、グラナダ王国と結託して、セビーリャに攻め入ったので、エル・シッドはアルフォンソ王の庇護下にあるこの国を守るべく奮戦。侵略軍をで撃破。エル・シッドはガルシーア・オルドーニェス伯爵ら貴族もいっときのあいだ捕虜としたので、王の股肱の臣たる彼らの怨恨を受ける。結果、伯爵らの讒言によってエル・シッドは王の信を失う。アルフォンソ王は、エル・シッドが使命通り年貢を納めたことに、いったんは「たいへん満足」したのであったが、エル・シッドとは過去のしこりがある王は、讒臣たちを信じるようになった。過去のしがらみとは、エル・シッドはもともとは前王サンチョ2世の重臣であったが、その王の暗殺を機に弟のアルフォンソ6世が登極したことにちなむ。新王に仕える条件としてエル・シッドら旧臣は、謀殺にはなんら関わっていないという宣誓をアルフォンソ王に求めたが、におけるその儀式で、エル・シッドはしつように何度もその宣誓を復唱させ、そのときの屈辱を王は後日も拭い去れなかったという。
出典:wikipedia
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