南遣艦隊(なんけんかんたい)は、大日本帝国海軍の部隊。太平洋戦争前の仏印進駐のために編成されて以来、終戦までにのべ5個艦隊が東南アジアの駐留・防衛のために編成された。なお、「南遣」の名を関した日本海軍の部隊は、日露戦争中に南シナ海沿岸の要地偵察やバルチック艦隊用の物資輸送を妨害するために派遣された「南遣支隊」が嚆矢である。第一次世界大戦中には、ドイツ領南洋諸島各地を制圧するために「第一南遣枝隊」「第二南遣枝隊」「特別南遣枝隊」が編成されている。最初の南遣艦隊は、1941年(昭和16年)7月31日に編成され、フランス領インドシナ南部に進駐した。主力となるのは地上部隊の第81警備隊で、海軍が建造した艦艇は練習巡洋艦「香椎 (練習巡洋艦)」と海防艦「占守」に過ぎない、実態は海軍根拠地隊に近い小艦隊だった。しかし、太平洋戦争開戦に伴い、陸軍のマレー作戦を援護すべく大本営と連合艦隊司令部により戦力が増強された。一度に集結させると敵に作戦意図を察知される恐れがあったため、海上戦力は1941年11月末まで、航空戦力は12月2日までに進出した。司令長官の小沢治三郎中将は陣頭指揮の関係上、旗艦用の重巡洋艦を連合艦隊に要求。途中、第二艦隊司令長官近藤信竹中将から「南遣艦隊司令長官が前線に赴く必要は無い。サイゴンの陸上基地か「香椎」から指揮を執ればよいではないか」と妨害されたが、山本五十六連合艦隊司令長官は小沢中将の要請を是として重巡洋艦「鳥海」を追加した。1941年12月4日、山下奉文陸軍中将指揮下の第25軍の上陸船団27隻を護衛すべく海南島三亜港を出航。開戦前の12月6日の現地時間午前11:30に仏印最南端カモー岬を西進中、イギリスの大型偵察機2機が接近したため、撃墜している。12月8日夜半、マレー半島コタバル上陸を皮切りに陸軍の南方作戦を支援。マレー沖海戦ではイギリス海軍の戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦「レパルス」を撃沈している。増加された部隊以外はツダウム飛行場やサンジャック停泊地(現在のブンタウ)の警備を担当。根拠地隊の海軍陸戦隊は、陸軍のマレー半島・シンガポール攻略部隊を追って南下した。年が明けて1942年1月3日、フィリピン攻略部隊が新編されたことを機に、第一南遣艦隊に改名し、引き続きシンガポール占領のため進攻を継続した。南方作戦が一段落すると1942年4月に増加された部隊は日本本土に帰還させている。1942年1月3日、第三南遣艦隊新設に伴い先述の南遣艦隊を改名したものである。南遣艦隊の任務を引き継ぎ、シンガポールの戦いを支援した。攻略完了後はシンガポールに司令部を置き、マレー半島・インドシナ・ビルマ・ニコバル諸島・アンダマン諸島に根拠地隊を置いた。各地での局地戦や空襲で小規模な損害を重ねたが、主戦場とならなかったために、大規模な損害は受けなかった。改称当時は連合艦隊、1942年(昭和17年)4月10日には3個南遣艦隊が連合した南西方面艦隊の指揮下に置かれた。1945年2月5日、第二南遣艦隊とともに第十方面艦隊に移籍し、終戦まで駐留を継続した。なお、第十方面艦隊司令部は第一南遣艦隊司令部が兼任している。※1943年、ビルマに第13根拠地隊を増設(第12特根の一部を割譲)1941年(昭和16年)3月10日に編制した第三艦隊を再編・改称し、引き続きインドネシアを攻略・駐留した。ボルネオ島・セレベス島・スンダ列島・西ニューギニアを管轄したが、広大すぎることから1943年11月30日に第四南遣艦隊を分割し、東部の管轄区域を移譲した。大規模な戦闘は経験せず、潜水艦攻撃と機動部隊の空襲によって消耗した。第四南遣艦隊は1945年3月10日に解散したが、隷下部隊は第二南遣艦隊に復帰することなく、第十方面艦隊直卒となった。第一南遣艦隊と同様に、南西方面艦隊・第十方面艦隊に属した。最初の1年間は、南西方面艦隊司令部の直卒部隊として司令部を兼任した。1942年(昭和17年)1月3日、フィリピン攻略のため、2個根拠地隊を主力として編制した。水上艦の多くは第三艦隊→第二南遣艦隊から抽出し、第三艦隊はさらに南方のインドネシア攻略に向かった。1942年4月1日より、南方の通商航路を保護する第一海上護衛隊を隷下に置いているのが特徴である。これはやがて南西方面艦隊を経て、海上護衛総司令部へと移譲された。陸海軍の協定により、海軍は中部・南部フィリピンの防衛担当となったため、ルソン島は陸軍に任せて規模を縮小している。しかし1944年夏より、フィリピン奪還に備えて再びルソン島の増強を図っている。そのため南西方面艦隊司令部はフィリピンに移り、第三南遣艦隊司令部を兼任した。しかしフィリピンの地上戦によって司令部は孤立化し、途絶した第一・第二南遣艦隊を統率するために第十方面艦隊を新設せねばならなくなった。1943年(昭和18年)11月30日、オーストラリアで反撃体制を整えた連合軍のフィリピン攻略に備え、第二南遣艦隊を二分割し、東部方面の防衛を担当するために編制したのが第四南遣艦隊で、スンダ列島やバンダ海周辺の島嶼部の防衛を担当した。1944年の初期のうちに、第四南遣艦隊から西ニューギニアへの増援部隊を抽出することが決まり、1944年5月、第九艦隊の本拠地ホーランディアが陥落する直前に、編制が完了したばかりの第28特別根拠地隊をビアク島に派遣した。しかしビアク島も連合軍の直撃を受け、半年間の籠城戦の末に玉砕した。その後連合軍はフィリピンに上陸したため、遊兵化した第四南遣艦隊は1945年3月10日に解散し、第十方面艦隊に吸収された。
出典:wikipedia
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