桃型駆逐艦(ももかたくちくかん)は、日本海軍の2等駆逐艦。同型艦4隻。磯風型と同じく1915年(大正4年)度計画で建造された駆逐艦。八四艦隊整備案の中型駆逐艦として、大正4年度から大正5年度で4隻総額5,563,256円の予算となった。前型の樺型が急造のため桜型の図面を流用したのに対し、本型は新規設計となった。1915年(大正4年)7月10日に佐世保海軍工廠と舞鶴海軍工廠へ2隻ずつの建造訓令が出され、樺型ほど急がれずに起工から6カ月乃至12カ月で完成した。基本計画番号F27。同時計画の磯風型(基本計画番号F24)を小型化したような艦型となった。従来の2等駆逐艦では凌波性の不足が問題になったので、船首楼の乾舷を高くしてフレアを増し、舷側に丸みを持たせて水はけを良くした。また船首楼を長くし艦橋も出来るだけ後方に置いた。この艦首形状はその後の2等駆逐艦や1等駆逐艦では峯風型以降にも採用された。本型は船型と推進効率が良く、艦尾波が大きく立たないので夜戦に有利と言われていた。機関は「桃」「樫」が艦本式衝動タービン、「檜」「柳」はブラウン・カーチス式タービンを搭載し、出力は樺型の約1.6倍の16,700馬力、速力も31.5ノットに向上した。なお従来のタービンは海外設計のものを国内で製造していたが、「桃」「樫」のタービンは初めて艦政本部の設計となり、「桃」「樫」のタービンは横須賀海軍工廠で、「柳」は佐世保海軍工廠で、「檜」は川崎造船所でそれぞれ製造されている。また形式は直結タービンであるが、巡航タービンが備えられ、ギアを介して連結されていた。缶(ボイラー)は前部が艦本式小型缶(石炭重油混焼)2基、後部が同大型缶(重油専焼)2基となっている。兵装は魚雷発射管に3連装発射管を初めて装備、2基6門を搭載し、磯風型(連装3基6門)と同等の雷撃力をもった。主砲は12cm砲3門を装備、磯風型(同4門)より1門少ないだけだった。竣工後は同型艦4隻で第十五駆逐隊を編成、樺型8隻に続いて地中海へ派遣され船団護衛任務に就いている。「樫」は除籍後に満州国海辺警備隊へ譲渡され「海威(ハイウェイ)」となった。しかし太平洋戦争が始まり無償貸与の形で再び日本海軍が使用した。桃型は4隻からなり、定数4隻の駆逐隊をちょうど一個隊編成できる。4隻とも佐世保鎮守府に配備され、転属は一度もない。大正7年4月1日の駆逐隊・潜水隊の番号改称にともなう番号変更を除くと、まったく変動がない駆逐隊である。佐世保鎮守府籍の桃・樫・檜・柳で編成した。編成日は樫・檜の竣工日の翌日である。第十五駆逐隊は三代目で、初代・二代目は日露戦争の鹵獲駆逐艦が配属された短命の駆逐隊であった。佐世保鎮守府所属の樺型駆逐艦すべてが第二特務艦隊に召集されて地中海に遠征していたため、編成より半年間は佐世保にとどまったが、年末より第二特務艦隊へ編入されている。帰国後は一度だけ第一艦隊第一水雷戦隊に編入された。後半は頻繁に第一遣外艦隊に編入され、大陸での活動が長かった。昭和12年5月31日、白露型駆逐艦海風が竣工し、第二十四駆逐隊は海風以降に竣工する白露型駆逐艦と交代することになり、この日をもって桃型駆逐艦は駆逐隊より離脱した。所属部隊と所属駆逐艦の変遷は以下のとおり。各艦の戦歴は各艦の項目を参照。
出典:wikipedia
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