泉中央副都心(いずみちゅうおうふくとしん)とは、仙台市の副都心の1つで、かつ、同市泉区の中心部のこと。仙台市都心部から見て北に位置し、泉中央駅を中心として広がる。JR仙台駅から泉中央交差点(泉中央通りと泉ヶ岳通りの交差点)まで一般道経由で北に7.4km(15分)、仙台市地下鉄南北線で仙台駅から泉中央駅まで約8.5km(15分)の距離である。泉中央副都心は、20世紀に七北田川の河岸段丘に計画的に造成された仙台市の副都心である。開発としての定義では、旧泉市が計画した泉土地区画整理事業による造成地のことで、対象面積101.08ha、総事業費68億円余で、1980年(昭和55年)に着工した。対象地域は元々、旧七北田宿(旧泉市中心部)の西側に広がっていた棚田地域(水源は将監沼など)で、現在は商業・業務地域となっている。また、ユアテックスタジアム仙台でベガルタ仙台の試合がある日には、人通りや渋滞が激しくなる地区である。地下鉄では泉中央駅、自動車では泉中央通りと泉ヶ岳通りが交差する泉中央交差点、バスでは泉中央駅バスプールが滞留地となっている。河岸段丘の高低差を利用したペデストリアンデッキや歩道によって歩車分離がされており、旧七北田宿との間は歩行者専用道路のすいせん通りで繋がれる。なお、ペデストリアンデッキの階段や地下鉄の出入口付近にはロードヒーティングが施されているため、降雪があっても積雪せずに融けるようになっている。なお、泉中央の公共の建造物は、当時の建築の最先端だったパリのグランプロジェの建物からの意匠借用が多いことで知られる。例えば、ミルポートSはラ・ヴィレット公園のラ・ジェオード(鏡の球体)、ペデストリアンデッキなどにあるのガラスのピラミッドはルーヴル美術館の中庭を模している。泉中央は、北側の富谷丘陵から出る樹枝状の丘陵(将監団地などがある)と、南側の七北田丘陵の間に挟まれた、東流する七北田川沿いの北側河岸段丘にある。川に最も近い段丘面には七北田公園があり、堤防のすぐ後ろの後背湿地には池や噴水、その1つ上の段丘面に芝生公園やユアテックスタジアム仙台のグラウンド、さらに1つ上の段丘面に諸施設と公園入口がある。その1つ上の段丘面から商業施設・オフィスビル・マンションなどに利用されている。この段丘面にユアスタ入口・泉警察署・泉中央駅バスターミナル・セルバなどがある。さらに1つ上の段丘面にアリオ仙台泉や泉区役所があり、さらにいくつかの段丘面があって将監団地で頂上になる。このような河岸段丘の高低を利用して、地下鉄は七北田川を渡河して段丘崖から進入し、七北田公園の芝生広場程度の高さの地下で泉中央駅舎となっている。また、バスターミナルの上にあるペデストリアンデッキは、バスターミナルと同じ段丘面にあるセルバでは2階に繋がるが、その北側の1つ上の段丘面にあるイトーヨーカドーには1階で繋がるなど、高低差を利用して巧みに歩車分離した動線が設定されている。なお、七北田川南側の河岸段丘には八乙女駅および周辺商業地があり、泉中央駅周辺と一体的な商業地を形成しているが、「泉中央副都心」には含めない場合もある。仙台都市圏・北部エリアの玄関口となる地下鉄南北線泉中央駅は、仙台駅に次ぐ利用者を誇るターミナル駅となっている。周辺では、朝夕を中心に慢性的な道路渋滞が発生する。泉市の中心部は、江戸時代の仙台城下町から奥州街道を下って最初にある宿駅「七北田宿」を基礎に発展した。昭和40年代までは、江戸時代の旧宿場町の街村の範囲に加えてその東側のかつての田圃が市街地化したが、のちに泉中央副都心となる西側は田圃のままだった。1977年(昭和52年)に西側の田圃の中に泉市役所(現・泉区役所)が移転し、1980年(昭和55年)からは区画整理が始まった。1990年代になると、仙台市との合併の際のバーターで多額の公共投資がなされ、急激に発展していく。ただし、1992年(平成4年)の仙台市営地下鉄南北線・泉中央駅開業時に至ってもまだ平面利用のロードサイド店舗がほとんどを占めており、仙台北部のベッドタウン住民が自動車でアクセスをするショッピングゾーンであった。買物客の流入増に従って、土地を求めて区画整理事業の外の地域、特に泉ヶ岳通り沿いの東の市名坂方面に向かってロードサイド店舗が張り付き、国道4号・仙台バイパス沿道や南の八乙女駅周辺を含めた広い範囲が「泉中央」あるいは「泉」という商圏を形成した。このとき出来たロードサイド店舗は、従来より大きな駐車場を併設したため、都心部と泉中央と結ぶ県道仙台泉線沿いにあった従来型の小規模な駐車場併設のロードサイド店舗は営業不振に陥り、一方で泉はロードサイド商業のメッカになった。一方、1991年(平成3年)の将監トンネル開通により、泉中央駅より北に位置する富谷町(現・富谷市)などからのアクセスが容易になり、富谷町の人口の急激な増加と相まって、仙台市都心部へ通勤・通学する者が泉中央駅バスプールで乗り換えるようになると、人の滞留が起きるようになり、少しずつ徒歩でショッピングするゾーンに変化が始まった。1997年(平成9年)に仙台スタジアムが完成し、のちのベガルタ仙台がホームスタジアムとして使用するようになると、仙台の顔の1つである街になってきた。泉中央駅周辺の渋滞や富谷町の更なる人口増により、ロードサイド店舗の立地の中心は将監がある丘陵の北側、すなわち、要害川(七北田川支流)沿いの国道4号が通る谷底平野へと移り、さらに両脇河岸段丘から尾根を越えて富谷町へと広がって、より巨大な駐車場を備えるようになった。一方の泉中央は、周辺にマンションが林立するようになったこともあって、徒歩移動者が増加し、店舗も必ずしも広い駐車場を設置せず、4-5階建てのビルも増え、泉中央駅の西側に飲み屋街も成立している。
出典:wikipedia
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