善通寺師管区(ぜんつうじしかんく)は、大日本帝国陸軍の師管区の一つ。第55師団の管轄区域のことを指し、四国四県に相当する地域である。第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)4月1日には第55師団の管轄から切り離され善通寺師管区司令部が設けられ、同年6月12日に四国軍管区司令部と改称された。この地域は大日本帝国陸軍創設当初は、広島鎮台の管轄区域である第五軍管区に含まれ、広島鎮台が第5師団に改編され初めて師管区が設定された後も引き続き第五師管区に含まれていたが、1898年(明治31年)、香川県多度郡善通寺村(現在の善通寺市)に第11師団が置かれ第十一師管区になった。1940年(昭和15年)8月から第11師団が満州に永久駐屯することになり、代替の常設師団として第55師団が設けられ、同年8月1日から師管区の呼び方が、それまでの師団の名称でなく地名を用いるようになり、善通寺師管区と呼ばれるようになった。常設師団の師団長は、天皇に直隷し、徴兵事務を担当する連隊区司令部を管掌し、補充業務などの管轄区域内の軍政についても責任を有していた。しかし師団長は有事の際には外地に出征して部隊の指揮を取ることが多くなり、内地に於ける補充業務などの軍政については留守部隊が担当した。このため留守師団が置かれ、師団長とは別に留守師団長が補されるようになり、常設師団の留守師団司令部が管轄区域を補充地とする特設師団の補充も担当した。第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)1月20日に大本営は帝国陸海軍作戦計画大綱を決定、本土に於ける軍の編制を根本的に改め、作戦と軍政の分離が推し進められることとなり、常設師団が管掌していた補充業務などの軍政を切り離し師管区司令部の管掌事項として、同年4月1日に善通寺師管区司令部が設けられた。1945年(昭和20年)6月12日には善通寺師管区司令部を四国軍管区司令部と改称、第55軍司令官原田熊吉中将が指揮した。
出典:wikipedia
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