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久留米師管区

久留米師管区(くるめしかんく)は、大日本帝国陸軍の師管区の一つ。第56師団の管轄区域であり、九州地方の北部に相当する地域である。第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)には第56師団の管轄から切り離され久留米師管区司令部が設けられた。常設師団の師団長は、天皇に直隷し、徴兵事務を担当する連隊区司令部を管掌し、補充業務などの管轄区域内の軍政についても責任を有していた。しかし師団長は有事の際には外地に出征して部隊の指揮を取ることが多くなり、内地に於ける補充業務などの軍政については留守部隊が担当した。このため留守師団が置かれ、師団長とは別に留守師団長が補されるようになり、常設師団の留守師団司令部が管轄区域を補充地とする特設師団の補充も担当した。この地域は、1871年(明治4年)4月小倉に西海鎮台が置かれ、同年8月に熊本に移り翌年の1872年(明治5年)4月に熊本鎮台に改称され、1873年(明治6年)1月に初めて軍管区が設定された時には熊本鎮台の管轄区域である第六軍管区に含まれた。熊本鎮台が第6師団に改編され、軍管区が師管区と改称された後も引き続き第六師管区に含まれていたが、1898年(明治31年)、小倉に第12師団が、1907年(明治40年)には久留米に第18師団が置かれ、また第18師団は1925年(大正14年)に廃止、小倉に在った第12師団が久留米に移転されるなどし、師団の管轄区域は分割統廃合されるなどその都度変更された。1940年(昭和15年)8月からは久留米に在った第12師団が満州に永久駐屯することになり、代替の常設師団として第56師団が設けられ、同年8月1日から師管区の呼び方が、それまでの師団の名称でなく地名を用いるようになり、久留米師管区と呼ばれるようになった。第二次世界大戦の末期の1945年(昭和20年)1月20日に、大本営は帝国陸海軍作戦計画大綱を決定、本土に於ける軍の編制を根本的に改め、作戦と軍政の分離が推し進められることとなった。その中でそれまで常設師団が管掌していた補充業務などの軍政を切り離し師管区司令部の管掌事項とし、同年4月1日久留米師管区司令部が設けられた。

出典:wikipedia

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