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突厥文字

突厥文字(とっけつもじ)は突厥によって古テュルク語の表記に5世紀から用いられたアルファベットであり、代表的なものとしてオルホン碑文に書かれたものがあるため、オルホン文字とも呼ばれる。5世紀に建てられたと見られる初期のものは、書く方向や符号・文字が一定しないなどの特徴が見られる。これらは古テュルク語として解読されているものでは最も古い文献である。代表的史料であるモンゴルのオルホン碑文は8世紀のもので、1889年、により発見された。これはによって出版され、1893年デンマークの文献学者ヴィルヘルム・トムセンによって解読された。アラム文字の系統に属し、パフラヴィー文字、ソグド文字もしくはカロシュティー文字に由来するとの説が有力である。また(中央アジアの遊牧諸民族が用いた印で、漢字に由来するとも言われる)に由来する可能性も指摘されている。オルホン碑文以前の碑文で、約150種もの記号を用いたものも発見されており、この説を補強するものとされる。オルホン碑文の段階ではすでに整った形式に従っている。オルホン文字の史料は、東突厥(第二可汗国)の王子キュル・テギン(古テュルク語: - )とその兄王ビルゲ・カガン(古テュルク語: - )を記念して732-735年の間にオルホン川沿いに建てられた2つの碑文(キュル・テギン碑文とビルゲ・カガン碑文)を合わせてホショ・ツァイダム碑文と呼ぶものの他、広い範囲から見つかっている碑文からなる。建立年代としては720年のトニュクク碑文(将軍の記念)、732年のキュル・テギン碑文(キュル・テギンの記念)、735年のビルゲ・カガン碑文(ビルゲ・カガンの記念)が知られている。同じ字体はモンゴル、シベリア、東トルキスタンにも見つかっている。ホショ・ツァイダム碑文には突厥の伝説的起源と最盛期、中国への服属そしてビルゲ・カガンによる解放が描かれている。モンゴル東部のドンゴイ・シレー遺跡でも8世紀の突厥碑文が発見されている。のちにウイグル帝国でも用いられた。またこの系統に属すと考えられる文字としてエニセイ文字(9世紀)、タラス文字()、ロヴァーシュ文字(古ハンガリー文字:10世紀)が、モンゴル・シベリアからバルカン半島に至る広い範囲で見つかっている。突厥文字の変種はモンゴル・シベリアから、遠くバルカン半島まで残されており、年代は7世紀から13世紀にまで至る。また19世紀までハンガリーで用いられたロヴァーシュ文字もこの系統に由来すると考えられる。これらの文字は次のように4つのグループに大別され、さらにいくつかに分類される。なお考古学者の鳥居龍蔵により、北海道にある手宮洞窟の線刻画(いわゆる北海道異体文字)が突厥文字であるという説が出されたものの、一般には支持されていない。読みの例:Unicodeにおいては、2009年のバージョン5.2において収録された。(オレンジはエニセイ文字。緑はその他。)

出典:wikipedia

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