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福島 (大阪市)

福島(ふくしま)は、大阪府大阪市福島区の町名。現行行政地名は福島一丁目から福島八丁目。郵便番号は553-0003の他に、町域内に所在する大阪高等検察庁、大阪地方検察庁、人事院近畿事務局にはそれぞれ別の郵便番号が設定されている。人口は10,316人、世帯数は6,004世帯である(2005年現在)。福島区の東部に位置する。町域の東側で梅田、南東で堂島、南側で中之島とそれぞれ接している。梅田から西へ1kmほどという地理条件から、幹線道路沿いを中心にオフィスや高層マンションが立地している。その一方で幹線道路から少し奥に入ると、古くからの下町の住宅地が広がっている。中世初期まで淀川河口の地であったと考えられており、渡辺津の西に形成された島だった。古代には「餓鬼島」と呼ばれていたが、菅原道真が大宰府へ左遷される途中にこの地に立ち寄った際、「餓鬼島」では縁起が悪いとして好字の「福」を取り「福島」と改名したと伝えられている。湿地を意味する「泓け島(ふけしま)」からきているとする説もある。平家物語では「源義経が屋島の合戦の際に、摂津国渡辺・福島の2ヶ所で船団をそろえて出航した」という趣旨が記載されている。鎌倉時代に福島荘とよばれる荘園が成立。戦国時代に入ると応仁の乱や大物崩れの戦場となり、1570年(元亀元年)には石山合戦の野田城・福島城の戦いが起こった。安土桃山時代に入っても1614年(慶長19年)に大坂冬の陣の野田・福島の戦いが起こっている。江戸時代に入ると西成郡福島村が成立したが、1677年(延宝5年)に上福島村と下福島村に分村。堀江の開発が始まった1698年(元禄11年)には、それまで堀江にあった安井九兵衛らの材木置場の代替地として、下福島村から安井九兵衛請所を分離した。曾根崎川・堂島川・安治川を挟んで大坂城下(大坂三郷)に接する両福島の地は新建家の建設が盛んに行われ、半ば市街化していた。1879年(明治12年)に郡区町村編制法が大阪府でも施行され、西成郡役所が上福島村に設置されたが、同年中に曾根崎村に移転。1882年(明治15年)には安井九兵衛請所が西成郡安井村となり、1889年(明治22年)の町村制施行では、下福島村は安井村と合併して下福島村となり、上福島村は単独で施行した。1890年(明治23年)には曾根崎村に移転した西成郡役所が上福島村に再移転されている。1897年(明治30年)の大阪市第1次市域拡張により、両村は大阪市に編入された。編入当初は北区に属し、その後北区の分区に伴って此花区に所属したのち、1943年に福島区が新設された。なお、現在の住居表示「福島」のうち曽根崎川跡以南は堂島の一部である。反対に、「玉川」「野田」の南部は下福島の一部を含んでおり、大阪市立下福島中学校や大阪市中央卸売市場本場が所在する。大阪環状線の福島駅が、高架駅として設置されている。また国道2号の地下には、阪神本線福島駅とJR東西線新福島駅が設置されている。梅田貨物線が地上を走り、大阪環状線福島駅のすぐ北側でなにわ筋と平面交差している。梅田貨物線を走る列車の本数が増加したことに伴い、梅田貨物線踏切による交通渋滞も問題化している。またかつては阪神本線が大阪環状線福島駅のすぐ南方の地上を走っていて、なにわ筋上に阪神本線の踏切もあったが、1993年の阪神本線の地下化に伴って踏切は解消された。大阪環状線の北側に東海道本線(JR神戸線)の線路も通過しているが、地域内には同線の駅は設置されていない。道路は東西方向に国道2号が通り、東側の梅田方面と西側の野田阪神方面とを結んでいる。また南北にはなにわ筋が通り、南側の中之島と北側の大淀方面とを結んでいる。国道2号となにわ筋との交点に浄正橋交差点がある。また町域内に阪神高速11号池田線が通り、福島出入口も設置されている。

出典:wikipedia

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