山本 哲也(やまもと てつや、1934年9月26日 - )は熊本県熊本市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。弟は阪急ブレーブスで活躍した山本公士。熊本工業高校では1952年に西九州大会で決勝へ進出するも、甲子園出場はならなかった。1953年に大阪タイガースへ入団すると、2年目の1954年には二軍の正捕手となる。一軍でも徐々に起用されるようになり、1957年からは石垣一夫に代わって正捕手の座を獲得。1959年の天覧試合にも出場している。オールスターにも2度出場(1958年, 1959年)。打率は2割前後と打てる打者ではなかったが、渡辺省三・小山正明・村山実といった名投手とバッテリーを組み、守備の面で多大な貢献をした。1962年にはリーグ優勝に貢献したが、その後は福塚勝哉・辻佳紀の台頭もあって出場機会が減少。1964年引退。その後も阪神に残留し、二軍バッテリーコーチ(1965年 - 1967年, 1976年 - 1979年)・一軍ブルペンコーチ(1975年)・スカウト(1968年 - 1974年)・スコアラー(1980年 - 1984年)・業務部次長記録担当(1985年 - 1995年)を歴任。退職後は阪神・淡路大震災以降、故郷の熊本へ転居。
出典:wikipedia
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