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利根 (防護巡洋艦)

利根(とね)は、日本海軍の防護巡洋艦。艦名は関東地方を流れる利根川にちなんで名づけられた。日露戦争直後の臨時軍事費により計画された二等巡洋艦。設計は当時艦政本部第3部に在籍の近藤基樹造艦大監で、エルジック・クルーザーの1艦である「吉野」が参考にされた。そのため船体の基本寸法は両者良く似た数値となった。ただ、日露戦争で巡洋艦「吉野」が「春日」に追突された際に艦首の衝角により被害が拡大されて沈没したことから、衝角構造を廃止してクリッパー型艦首を採用した。先端のとがった艦首形状のために通常は艦首部に御紋章は1個のところ、左右に1個ずつの計2個取り付けられた。また搭載砲は「吉野」と同じ15cm砲と12cm砲を混載した。砲の配置も同一であるが、重量削減のため15cm砲2門を12cm砲に変更している。エンジンはレシプロ機関を搭載しており、日本海軍の巡洋艦でレシプロ機関を搭載した最後の艦となった。1905年(明治38年)、佐世保海軍工廠で起工、佐世保で建造された初の巡洋艦で1910年(明治43年)5月15日に竣工し、二等巡洋艦に類別。水雷艇程度の建造経験しか無かった同工廠で初めて建造された大型艦艇であり、また起工が日露戦争終結後となったため、予算の問題もあり建造に5年5ヶ月を要した。1911年(明治44年)4月、ジョージ5世の戴冠記念観艦式に参加するため、「鞍馬」とともに遣英艦隊(司令長:島村速雄中将)を編成。1911年(明治44年)4月1日に横須賀を出港し、6月24日にスピットヘッドでの観艦式に参加。さらにヨーロッパ各国を歴訪し、11月22日に横須賀に帰投した。第一次世界大戦では、青島攻略戦に参加、さらに南シナ海、インド洋での作戦に従事した。1922年(大正11年)1月から5月までオランダ領東インド諸島方面の警備、次に1929年(昭和4年)までおもに中国水域の警備活動に従事した。1931年(昭和6年)4月1日、旧式化した軍艦3隻(利根、筑摩、阿蘇)は、それぞれ廃艦第2号(利根)、廃艦3号(筑摩)、廃艦4号(阿蘇)と仮称。廃艦2号(利根)は1933年(昭和8年)4月30日、奄美大島近海で射撃・爆撃標的として撃沈処分された。戦艦「陸奥」から見学していた高松宮宣仁親王(当時、重巡洋艦「高雄」分隊長)は「かたふきて沈みゆくかな雲たれて/低き 海面よどむ沖縄の沖」「楽の音も終わらぬうちに海の底深く沈みぬ白波をたて」等の和歌を詠んでいる。

出典:wikipedia

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