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国道148号

国道148号(こくどう148ごう)は、長野県大町市から新潟県糸魚川市に至る一般国道である。国道147号などとあわせて、松本市・長野県南部方面と、糸魚川市・および富山県・石川県など北陸地方とを連絡する道路である。ほぼ全線が、鉄道のJR大糸線や、日本海へ注ぐ姫川に沿って並行する。北陸自動車道の糸魚川インターチェンジ(IC)と、長野自動車道(中央自動車道長野線)の安曇野ICの間を結ぶ最短連絡路線で、北陸と関東を結ぶ産業・経済を支える主要な幹線道路に位置づけられている。また、長野県と富山県は隣接しているが直結する道路や鉄道がなくアクセスできないため、当線の糸魚川経由が最短ルートとなる。古くは信濃国に塩を運ぶ重要な街道(千国街道)であったことから「塩の道」ともよばれた。新潟県糸魚川市大所 - 根小屋の区間は、防雪の道として、旧建設省と「道の日」実行委員会により制定された、「日本の道100選」の一つに選定されている。一般国道の路線を指定する政令に基づく起終点および経過地は次のとおり。古くから越後の糸魚川地方と信州の関係は深く、海産物などの流通路、いわゆる「塩の道」で結ばれてきた。行商人が塩や干し魚などの重荷を背負って歩き、谷を遡って峠を越え、冬は雪崩にさえぎられるなど、難所続きの道であった。明治時代に入ると、馬車道としての開削が望まれるようになり、1892年(明治25年)に、塩の道に代わるルートとして谷を流れる姫川沿いに、荷車や馬車が通行可能な平坦な道が完成する。しかし、厳しい地形を縫うこの道は、風雨のたびに落石が相次ぎ、冬季は雪崩が谷を埋め尽くしてしまうことから、12月から4月までの間はいっさいの交通が途絶えた。戦後の1953年(昭和28年)に、このルートが二級国道148号に指定され、日本の高度経済成長とともに自動車交通の激増により改良事業が推進されていき、姫川に架かるつり橋の架け換え事業や交通難所のトンネルの建設、大規模なバイパス道路の開通が行われてきた。防雪設備の整備は、雪寒法の制定により、雪崩防止柵や擁壁が当初設置されたが、その目的が果たすことができず、1961年(昭和36年)よりスノーシェッドの整備が着手された。以来、スノーシェッド設置の進ちょく状況により、それまでの冬季における除雪が一部区間に限られていたが、整備のかいがあり、1980年(昭和55年)に全線の完全除雪を達成した。だが、翌1981年(昭和56年)は豪雪により、70日余りの通行止めを余儀なくされることとなる。以後、防雪施設の整備がさらに推進され、冬季通行止め日数は年々減少し、1986年(昭和61年)以降は、小規模の雪崩の発生はあるものの冬季通行止めは1日もなくなった。1995年(平成7年)は信越地方を襲った集中豪雨により7.11水害が発生し、国道148号は未曽有の被害を受けることとなった。しかし、1998年(平成10年)の長野冬季オリンピック開催までのあいだに、整備を進めてきた改良工事も供用され、災害復旧も新国界橋を除いて完了したことにより、オリンピック会場への連絡道路としての効用を果たしている。小谷村中小谷丙の下里瀬(くだりせ)から、北小谷まで下里瀬・中土・平倉・外沢とトンネルが続く。小谷村の現道は小谷道路といい、千国街道(糸魚川街道)のバイパスでもある。北小谷を流れる姫川には小谷橋が架かり、沿道に道の駅小谷がある。この付近では1995年の7.11水害の際に損壊したスノーシェッドが、道路脇に今も残る。長野・新潟県境にかけて、塩坂トンネル、湯原トンネルをくぐると、蒲原沢に架かる国界橋を渡り、新潟県糸魚川市に入る。大所トンネルをくぐり、平岩集落より北側にある姫川渓谷沿いは、スノーシェッドの連続である。県境の糸魚川市大所から根小屋までの葯15km区間にある防雪施設は、スノーシェッド(約5.9km)、雪崩防止柵(約0.6km)が続き、他にトンネル(延長計4.0km)がある。沿線は、北アルプスの山岳の秘湯や温泉宿、リゾートホテルがある温泉地が数多くあり、多くの観光客でにぎわうところである。オリンピック会場にもなった白馬や八方尾根周辺は、スキー場も多い。

出典:wikipedia

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