1977年のJSL(第13回日本サッカーリーグ1部および第6回日本サッカーリーグ2部)は、1部が1977年9月8日から1978年2月12日まで、2部が1977年8月20日から1978年2月26日まで行われた。優勝は、1部がフジタ工業クラブサッカー部で、2部が読売サッカークラブであった。このシーズンより90分を終えて同点の場合にはPK戦を実施するようになった。勝ち点は90分での勝利に4、PK勝ちに2、PK負けに1、敗戦に0。順位決定方法にも変更があり、これまで勝ち点と得失点差が同じ場合はゴールアベレージ(得点÷失点)で順位を決めていたが、それが総得点に変わった。フジタが、64得点という圧倒的な攻撃力で独走し、2試合を残して第16節に優勝を決めた。FWカルバリオとMFマリーニョのブラジル人コンビは2人で41ゴールを奪い、得点王に輝いたカルバリオは23ゴールでJSLのシーズン最多得点記録を打ち立てた。前年チャンピオンの古河電工は、奥寺康彦が10月にドイツへ移籍したこともあって6位に終わった。このシーズンの観客動員は15万9,650人(前年23万2,400人)まで落ち込み、1試合平均動員数はJSL全シーズンを通じて最低の1,773人だった。参加クラブ参加クラブ
出典:wikipedia
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