メイショウカイドウは日本中央競馬会 (JRA) に登録されていた元競走馬で、現在は小倉競馬場に所属する誘導馬。史上4頭目の小倉三冠馬、史上初の同一年小倉三冠馬であり、小倉競馬場でのレースを得意としていた。新冠町・森永正志牧場の生産馬。森永牧場は一家3人で経営する小さな牧場だが、過去にリードエーティ(1981年阪神3歳ステークス)等の重賞勝ち馬を生産している。母キンセングローリーは門別の大塚牧場生産馬で、中央33戦4勝後に繁殖入りした。メイショウカイドウは第6仔になる。本馬はマヤノトップガン等で知られる田所祐に見初められ、のちに松本好雄との共同保有馬となった2002年にデビュー。4歳夏までは小倉の未勝利戦と笠松の交流競走を2勝しただけのごく地味な馬だったが、2003年夏の小倉で3連勝して本格化の兆しを見せる。2004年春にオープン馬となり、同年8月の小倉記念で重賞初勝利。2005年には小倉大賞典、北九州記念を勝利して27年ぶり史上4頭目の小倉三冠を達成。同年の小倉記念も1番人気で連覇して史上初の同一年小倉三冠を達成した。この3戦はいずれもトップハンデの1番人気で、小倉大賞典は57.5㎏を、小倉記念は58.5㎏を背負ってのレコード勝ちだった。7歳となり、59㎏のハンデを背負った2006年七夕賞を勝利するが、3連覇を目指した同年小倉記念は59.5㎏のハンデで6着に、8歳で出走した翌年も11着に敗れた。2007年10月3日、のどの疾患もあり登録抹消。同年9月8日の朝日チャレンジカップ(10着)が最後のレースとなった。競走馬引退後は小倉競馬場の誘導馬に転向。2008年1月19日にデビューを迎えた。当日はパドックでお披露目式が行われ、競走馬時代の所有者である松本好雄や騎手の武豊らも参加した。その後は通常の誘導馬としての業務のほか、場内外で行われるJRAのPRイベントにも度々登場している。小倉競馬場でのレースを得意とし、全11勝のうち8勝を、小倉三冠をはじめとする重賞5勝のうち4勝を小倉で挙げた。小倉8勝はアトラスらと並ぶ最多タイ記録、小倉重賞4勝は歴代最多記録である。4歳以降の小倉での敗戦は、ダイタクバートラムが1800mの日本レコードで勝利した2004年の北九州記念2着(タイム差無し)と7歳以降の3戦に限られる。二つ名は「小倉の鬼」「小倉の帝王」「小倉の横綱」など。JRA60周年を記念して行われたメモリアルホースファン投票(小倉部門は小倉記念勝ち馬の中から選出される)では、2位ドリームジャーニーに2000票以上の差をつける最多得票を集め、「玄界灘の風雲児 メイショウカイドウカップ」として施行された。小倉で無類の強さを見せる反面、小倉以外では陣営すら不可解な敗戦もあり、人気を背負っての敗戦後には「分からない」「理解に苦しむ」といった関係者のコメントが並んだ。陣営は「本当に(小倉の)コース相性は抜群」としながらも「小倉以外で走ること」をこの馬の課題とした。小倉三冠達成後、メイショウカイドウは初GIとなる天皇賞(秋)へ出走したが、最下位18着(18番人気)に沈んでいる。
出典:wikipedia
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