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越前和紙

越前和紙(えちぜんわし)は、福井県の嶺北地方で製造される和紙である襖紙、小間紙、奉書紙、檀紙、証券紙、画仙紙など豊富な種類があり、特に奉書や鳥の子は高い評価を得ている。主に、越前市(旧今立町)の五箇(不老・大滝・岩本・新在家・定友)で生産されている。主原料補助材料など越前和紙の始まりについてははっきりしていないが、全国でも例のない紙漉きの紙祖神「川上御前」の伝説(約1500年前)がある。鎌倉時代には大滝寺の保護下に紙座(組合)が設けられた。室町時代から江戸時代にかけ、「越前奉書」や「越前鳥の子紙」は公家・武士階級の公用紙として重用され、全国に広まった。江戸時代に産地を支配した福井藩は越前和紙を藩の専売として利益をあげるとともに、技術の保護や生産の指導を行っていた。寛文5年(1665年)には越前奉書に「御上天下一」の印を使用することが許可され、正徳2年(1712年)の「和漢三才図会」では「越前鳥の子紙が紙の王にふさわしい紙」と評されている。一般に日本最初の藩札とされる福井藩札は、越前和紙を使って製造されていた。のちに丸岡藩札も越前和紙で発行された。明治元年、明治新政府はそれまでの各藩の藩札に代わり、日本統一の「太政官札」を発行したが(発案者は由利公正)、これに採用されたのもまた越前和紙である。その後、新政府発行の紙幣はドイツ製洋紙に変更されたが、明治8年大蔵省抄紙(しょうし)局が設けられ用紙の独自製造を再開すると、越前和紙の紙漉き職人が上京して新紙幣の用紙を漉き、技術指導を行った。(「明治通宝」参照)越前和紙は偽札防止のための透かし技法(黒すかし)を開発したため、日本の紙幣製造技術は飛躍的に進化した。昭和15年(1940年)には大蔵省印刷局抄紙部の出張所が岩本に設置され、のちにここで百円紙幣、千円紙幣を漉いていた。前述の奉書紙の格式やこれら紙幣の歴史があるため、例えば証券や証書(卒業証書等)などに「正式の用紙」として越前和紙が使用される。 またその品質が横山大観、竹内栖鳳、平山郁夫、東山魁夷ら多くの画家らに評価され、現在でも越前和紙を作品製作に使用する者は多い。代表的な越前和紙職人として、岩野平三郎、岩野市兵衛がいる。

出典:wikipedia

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