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立川バス上水営業所

立川バス上水営業所(たちかわバスじょうすいえいぎょうしょ)は、西武拝島線玉川上水駅近くの芋窪街道沿いに位置する立川バスの営業所の1つ。車番として付される際の営業所記号は、Jである。バス停は、芋窪街道沿いに上下各1本と下り営業出庫用に構内1本、高速路線バス用に待合室兼用の乗り場の4か所ある。1966年6月に開設され、主に立川駅以東・同駅北部の路線を担当している。上水営業所が開設される前は、本社が併設されていた高松町・砂川(砂川七番駅近く)の2営業所が担当していたが、いずれも敷地面積が手狭だったこと、ワンマン車の導入にあたり、これに適した営業所として新たに開設された。後の国立、上水、拝島、瑞穂の4営業所時代にて、広いエリアと多数の路線を担当したが、国立営業所の閉鎖に伴い、担当していた路線の2/3を上水が継承した。年表立川駅から芋窪街道を北進、玉川上水を経由して武蔵村山市の村山団地に至る、上水営業所の主幹路線。大別すると、立川駅発着の立22他と玉川上水駅発着の玉10・10-1の2種類に分けられる。村山団地付近は左回りの循環運転をしており、循環の間にこれが入れ替わることがある。上水営業所が開設される直前の1966年4月に、立川から村山団地までの路線として開通した。当時はまだ循環運行を行っていなかったものの、僅か2年後に運行を開始する。当時の「村山団地停留所」は折返場として存続するものの、1997年に全便が団地循環運行をなった。1999年には整備された玉川上水駅南口を発着する便を新設し、玉川上水駅・上水営業所から団地を経由して玉川上水駅へ戻る玉10の運行を開始した。2009年6月16日、立22の大半が玉川上水駅への乗り入れを開始し、立23となった。年表不動産賃貸業を行う立飛企業(立飛リアルエステート)が「立飛構内」と呼ばれる土地を各会社(配送センター等)に貸しており、立27はそこへの通勤路線であるため、土休日は運休する。実際は構内まで乗車する通勤客は0~数名程度で、ほとんどが立飛本社前(構外)で下車する。立飛東門から先の4停留所は立飛企業の私有地内に存在するが、その区間も含めて一般乗合路線扱いとなっている。なお、2006年にモノレール軌道下の道路が公道(東大通線)として開通する前は、この道路と立飛東門停留所も立飛構内に属しており、東門(守衛所)も同停留所の東側にあった。もともとは立飛構内を横断する経路だが、1998年11月27日の多摩都市モノレール開通により新立川航空先回り(立89)が廃止、現在は新立川航空先回り、構内入口が裁判所前、出口が立飛駅付近。運行本数も2014年9月現在で平日のみ朝2本(立27系統)、夕1本(202号棟前始発の立27-1系統)と非常に少なくなってしまった。                                立川駅北口→新立川航空→立飛東門→立川地方合同庁舎→立川駅北口(午後廻り)                 立21-2 立川駅北口↔立川地方合同庁舎↔立飛東門↔砂川七番↔玉川上水駅南口(終日、運行数少)が、2014年6月より運行しているが、2015年6月16日のダイヤ改正で、立26午後廻りが、立川駅12:30発のみに大幅減便された。年表立川バスの路線で唯一、西武バス立川営業所以北も五日市街道と交わる砂川九番まで立川通りを走る路線。2011年5月15日までは栄町二丁目 - 幸町三丁目間で並行する西武バス路線が停車する3停留所を通過していた。年表年表上弁天付近の道路が狭隘であることや、国立・けやき台団地線の方が主力となっていることもあって、原則として中型車で運行される。年表西武バス立川営業所 - 北町間が狭隘区間であるため、中型車で運行されている。かつては北町の循環系統や北町経由国立駅までの便もあったが、2003年を最後に現在の区間のみとなっている。年表1979年2月に砂川循環として開通後、1989年に防災センター経由へ経路変更、1992年に防災循環線が新設された。この防災循環線は南北道路を経由して運行されていた。1996年に折返系統が新設されると同時に砂川循環が廃止され、1998年には防災循環線も廃止された。2002年には折返系統が廃止、曙町経由への経路変更が実施され、2008年に消防署線が再度運行を開始するなどという、路線の改変・経路変更が多く実施された路線である。年表玉12を名乗る系統としては2代目である。2006年11月16日に玉12(玉川上水駅 - 三本榎 - ダイヤモンドシティ)として開通。2008年2月16日にイオンモールと改称すると、新海道経由が開通し、路線の多くが新海道経由に経路変更を行う。三本榎経由は1日1往復を経て、2010年4月16日に廃止、玉12-2を新設した。年表立川駅北口から芋窪街道を北上して青梅街道の芋窪停留所に至る路線。終点の芋窪は、西武バス・都営バスの「貯水池下」停留所と同じ場所にあるが、西武・都営にも芋窪停留所があり、これは貯水池下停留所の一つ東にある。村山団地路線開設までは芋窪街道を走る本線格の路線として存在していた。1938年3月15日に開通した当初は村山貯水池が終点で、1952年に北野まで延伸された。自治体統計書によれば、現在の本線格である村山団地線開設後も減便なく現状維持したが、1975年頃に芋窪 - 北野が廃止された。その後、1998年11月27日に多摩都市モノレールが開通すると、上北台駅 - 芋窪を除く全線が並行することになり、運行本数は大幅に減らされるが、この時は路線短縮に関して見送られ、平日昼間と土曜の8時 - 11時が玉川上水駅発着に変更されただけで、残りは立川駅からの運行が継続された。また、立川駅行きが運行されない時間帯は村山団地線による玉川上水駅入口での乗継乗車券が発行されたが、「村山団地線のどの便が芋窪線に接続するか」についての情報はなかった。2000年4月1日のダイヤ改正で、立川駅発着便は平日・土曜のラッシュ時だけとなり、残りは全て玉川上水駅発着に短縮された。さらに10月の改正では平日・土曜のラッシュ時の立川便と、休日朝夕の玉川上水駅便だけとなり、2001年4月16日には立川駅発着便が完全に廃止された。モノレール開通前は砂川七番駅・桜街道駅・上北台駅の3停留所が存在せず、当時の近隣停留所も設置されていなかった。また、上北台駅付近は現在のように整備されておらず、芋窪街道旧道経由で芋窪まで直線上に運行しており、新青梅街道と交差するやや南側に「北台停留所」が存在した(廃止された芝中団地線もここを通っていた)。これらがモノレール開通後、モノレール直下を通る上北台駅(新道)経由に経路変更されて現在に至る。なお、朝の上水営業所→芋窪行きには、上北台駅停留所を経由せずに従来の北台停留所を経由する便も残存しているが、現在は北台停留所も「上北台駅」と改称している。現在は平日の朝のみの運行となっている。年表国立市の南北を連絡する路線群。国立操車場はかつての国立営業所にあたる。国立市北部の路線群。なお、国15・国15-1は拝島営業所の担当である。高頻度で停留所名の改称が行われており谷保住宅は2011年6月に「国立西二丁目」、アミューたちかわは2013年12月に「たましんRISURUホール」に改称されている。また、日付不明だが郵政大学は「郵政研修センターグランド前」に改称されている。年表けやき台団地関係の路線は国立駅北口発着と立川駅北口発着の2つがあるが、メインは国立発着である。比較的短距離だが、稲荷神社で坂を登り高木町まで大変狭い道を走るのが特徴である。稲荷神社 - 国分寺第三中学校入口間に第一待避所、国分寺第三中学校入口停留所に第二待避所を有し、この二箇所と高木町交差点の計三箇所に誘導員が常駐している。その他にも、バスと普通自動車がすれ違えるように道路が部分的に拡幅されている箇所があり、ピーク時3分間隔で大型車を走らせている。終点のけやき台団地と弁天通り折返し場はあまり離れておらず、徒歩連絡可能である。また、けやき台団地の北側には五日市街道があり、そこから若葉町団地へもあまり遠くない。年表国25は恋ヶ窪出入庫線、国26は戸倉出入庫線と称する、国22・国23(戸倉循環線)の出入庫路線だが、運行は早朝の国立駅行きと朝・夜間の国立駅発のみで、本数は極めて少ない。東京創価小学校線は、国立駅から国分寺市の並木町、北町地区に至る路線。後述する狭隘区間への対応などから、中型車によって運行されている。もともと、並木町地区には立川駅 - 小平団地線(廃止)や、恋ヶ窪出入庫線、戸倉出入庫線等の五日市街道を東西に走る路線のみであったが、この路線の新設で最寄りのJR駅への短絡化が達成された。今でも運行頻度は朝は10分間隔と徐々にだが本数の増加は見られる。日中は、時間3本程度。当初は国立駅 - 高木町にてけやき台団地国立線と同一経路を走行していたが、2003年にほぼ全便が第二小学校経由に変更された第二小学校 - 変電所は、稲荷神社 - 高木町と同様に道路が狭隘だが、けやき台団地国立線と異なり、狭隘区間でも花街道バス停付近の交差点南側を除きバスの離合が可能なため、待避場の設置や誘導員は配置されていない。東京創価小学校行きの花街道のバス停では道路外に停留場と乗降スペースが設けられている。東京創価小学校付近は循環状に運行して折り返す。上水営業所に入庫する際は、並木町2丁目で運行を打ち切り、五日市街道を回送する。2015年6月15日までは、北町公園線として運行。循環経路を半時計廻りから時計回りに変更。国24系統は、土曜夜上り一本のみであったが、2015年6月廃止。また、小平市との境に近い北町二丁目停留所から北東方向へ10分程歩くと、西武国分寺線の鷹の台駅がある。年表国立駅北口を出て、国分寺市の最西部を走る路線。もともと弁天線として国立駅 - 立川駅を結んでいたが、上弁天から立川駅はけやき台団地立川線と重複しており、これに委ねる形で分割され、さらに北に延長された。折返場線単独となってからは、戸倉循環線の出入庫もこの線を経由して行うなどの改正により、運行本数は増発された。現在は、ラッシュ時を除けば、けやき台団地国立線と肩を並べそうな勢いとなっている。終点の弁天通り折返場は国分寺西町アパートに接して停留所が設けられている。この停留所から北に向かうと立川通りと交差し、榎戸弁天停留所がある。なお、「弁天通り折返場」という停留所名は時期や資料によって送り仮名の振り方が異なっており、どれが正しいというのがわからない状況である。年表国分寺駅を起終点とし、花小金井駅、昭和病院で折り返すか、さらに大沼団地に至る路線が全体の大半を占める。立川バスの他の路線とは出入庫路線である寺50を通じてのみ接続しているが、寺50自体の運行は平日早朝の上り1本のみである。また、寺52は朝夜のみ、寺53は朝のみ、寺54は土曜夜のみ、寺57は平日のみの運行と、枝線的な路線が多い。年表かつてよりいすゞ製の車両が主に使用されており、LV・エルガミオ・エルガ等が多く在籍している。中でもJ710、J716、J717は2016年現在、都内では貴重なツーステップバスであり、1998年に導入されているも延命措置をされており、現役である。また、当営業所では三菱ふそう製の車両は少数派であったが、1990年代後半に立川バスで初のノンステップバスであるエアロスターが導入されてから同社の車両の比率も増えている。高速車は以前から三菱ふそう製のエアロバスやエアロクィーン、エアロエースが導入されていたが、現在はすべての車両・運行が拝島営業所(シティバス立川)に転属・移管した。その他ではくるりんバス・くにっこ用の日野・ポンチョなどが在籍する。J770号車は「聖☆おにいさんバス」になった際に「兄さん」の語呂合わせで希望ナンバーの「・・23」を取得している(2014年11月より同車は「ウドラ」のラッピングバスになったが、ナンバーは変更されていない)。2009年4月頃より、従来の通常方向幕の車両は順次、LED式の方向幕へ改造がなされている。

出典:wikipedia

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