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エロ劇画誌

エロ劇画誌(エロげきがし)は、エロティックな題材を扱った劇画を中心に掲載する雑誌のことで、代表的なエロ本の1つであり、成人向け漫画を扱う雑誌の代表例でもある。官能劇画誌や三流劇画誌ともいう。成人男性に対してアダルトかつハードな興奮を提供すべく、その手のマンガを中心に掲載する雑誌のことである。体裁としては成人向けマンガ雑誌であり、ほとんどはA4中綴じ、主たる内容は漫画で、その画風はあくまでも劇画である。普通は表紙の後ろにヌードグラビアが入る。また、巻末にギャグマンガが入る例も多い。内容は劇画調でエロが含まれていれば何でもよく、ある意味では間口は広い。基本的には低俗なものと見なされているが、ここから巣立って一般誌で活躍した漫画家も少なくない。また、ここを舞台に有名になった書き手もある。その他、この手の雑誌には必ず四コマ漫画等のショートギャグマンガを含み、この方面でもここを舞台に活躍し、あるいは一般誌へ巣立ったものもある(いがらしみきお等)。2000年代の時点で見れば、現代は衰退しており、その全盛期は1970 - 1980年代であったと思われる。その後はエロマンガの流れの変化により、少数派となっている。劇画そのものの歴史は第二次大戦後の貸本屋に始まる。元来が古典的な漫画の絵に対して、より肉体的な描写を求めたものであったが、当初はエロチックなものはなかった。当時の官能系の雑誌は実話読み物的なものが主体で、それに色気話的な古典的な漫画が含まれる程度であった。劇画が官能を含むようになったのは、1960年代以降、『COM』等において劇画が私小説的な色を帯びてきた辺りに端を発するとの説もある。そういった作品の影響下に、60年代後半からより官能を強調した漫画が生まれ、実話雑誌が発表の場となった。その評価が高かったために官能漫画単独で雑誌が作られるようになったのが官能劇画雑誌の起源である。最初の官能劇画誌と言われる『エロトピア』は1973年(昭和48年)の発行。その後2-3年のうちに創刊された雑誌の数は優に20誌を越えるという。しかし成立して間もないジャンルにおいて雑誌の急増は内容の低下を引き起こし、官能劇画誌は大人が読み捨てにする雑誌としての地位を築くに至った。しかし、当初からエロ劇画の世界で自分の世界を築き上げる作者も多かった。もちろん、エロでなければ描けない世界というものもある。また一つにはエロが必須であることを除けば、それ以外の表現はむしろ一般の雑誌より制約の少ない舞台が好まれたという面もあるらしい。例えばダーティ松本、北哲矢、村祖俊一、あがた有為、中島史雄、土屋慎吾、羽中ルイ、宮西計三、沢田竜治、三条友美、石井隆、小多魔若史などが代表的な作家であった。石井隆らがエロ劇画でありながら高い評価を得るなど、エロ劇画に低俗である以外の評価が与えられる例が出始め、一種のエロ劇画ブームが見られるようになった。そのような状況の中から、1978年(昭和53年)に三流劇画ムーブメントが起こった。これは、当時の三大エロ劇画誌と言われた『漫画大快楽』『劇画アリス』『漫画エロジェニカ』の編集者(亀和田武、高取英ら)によって打ち上げられたもので、言わば学生運動のような革命思想をマンガ雑誌の世界に持ち込んだもので「劇画全共闘」とも呼ばれた。彼らによると、当時の漫画雑誌界にははっきりとした階層があり、一流から三流までが区別される。一流は「ビッグコミック」を筆頭とする有名誌であり、それに続く一般漫画誌が二流で、三流がエロ劇画誌である。ところがここでの一流は内容においてあまりにも保守的で一切の変革を求めない。そして二流三流でデビューし、実力をつけた作家をつまみ食いにしている、と言い、このような状況を打破するためには三流をもって一流にしなければならない、といった主張がなされた。これらの主張や、『ガロ』の作家川崎ゆきおの起用、またSF、ロック、プロレスなどの評論コラムを掲載するなど、エロ劇画誌の固定観念からは離れた自由な誌面が作られていた。1978年には「11PM」で三流劇画の特集を組み、1979年には『別冊新評』で「三流劇画の世界」が出版された。彼らのエロ劇画誌の本分を逸脱した編集方針により、吾妻ひでお、いしかわじゅん、諸星大二郎など彼らに共鳴するメジャー作家や、芸術性が高いばかりに一般誌には受け入れられないニューウェーブと呼ばれた若手作家たち(ひさうちみちお、蛭子能収、宮西計三、平口広美、奥平イラ、まついなつき、高野文子、山田双葉(山田詠美)、さべあのまなど)に実験的な作品発表の場が提供され、これらによる名作が生まれた1979年頃までは「エロ劇画ルネッサンス」とも呼ばれる。こうした潮流は橋本治、飯田耕一郎ら理論派の論客や奇想天外や宝島などのサブカルチャー雑誌を巻き込んで展開されたが、彼らの目指したところはいわゆる一般読者の支持を得られず、亀和田の『アリス』は1979年に休刊、1980年には『大快楽』の編集者は退社、『エロジェニカ』の出版社が倒産に至る。エロ劇画誌における評論や冒険的な編集姿勢は『劇画ハンター』『ラブラブ』『映画エロス』などの諸誌にも広がったが、高取のエロジェニカからの撤退を期にほどなく収束していった。この頃から次第に漫画に変化が生じ始める。特にロリコン漫画の台頭は、漫画全体の雰囲気を変えるものであった。これはエロ劇画においても、七十年代後半より、中島史男や村祖俊一のように次第に少女を中心に描く作家が出始めている。あるいは谷口敬や澤木あかねなどのように絵柄にもかわいさを前面に押し出す作家も出現し、内山亜紀(旧名 野口正之)や千之ナイフに至っては少年誌にまで進出を果たした。この流れを決定づけたのは、吾妻ひでおであった。彼は少年漫画の舞台でマニアックな人気を得、エロ劇画誌にギャクマンガを連載した後に自動販売機専門誌である「少女アリス」に現在の流れに通じるようなかわいらしい絵柄で本格的なエロ漫画作品を発表した(1980年(昭和55年))。自動販売機専門誌では部数が限られていたものの、この連載は後に「日射し」という単行本にまとめられ(1981年(昭和56年))一部の話題をさらうことになる。80年代前半は、ロリコン漫画雑誌としては、レモンピープル(1982年(昭和57年))と漫画ブリッコ(およびその後継誌の漫画ホットミルク)が二大ロリコン誌と呼ばれ、それ以外に若干数の類似誌が出版されるも短命に終わる状況が続いたが、80年代半ばを過ぎるとCOMICアットーテキやペンギンクラブらの創刊以降、次第に定着する雑誌が増え始め、それ以降はあっと言う間に類似誌が数を増やした。それらに描かれた世界はエロ劇画誌とそれほど差のあるものではなかったが、その絵柄は大きく異なっていた。それらはどちらかと言えば若い世代に受け入れられたが、それはエロ劇画を購入していた世代とも大いに重なるものとなりつつあった。ロリコン誌は数を増やすにつれて性質を変え始め、次第に描く対象を女子高生程度、つまりエロ劇画の範囲と被るようになり、一般的なエロ漫画との境目は不明瞭になり、その分エロ劇画の市場を奪って行った。他方、より社会的な要因を指摘する向きもある。この頃より雑誌の購入場所としてコンビニエンスストアが重要になったが、そこでエロ劇画誌が受け入れられなかったからである。印象が暗く不潔感があったためであろう。それが販売先を大きく狭めた点が響いたという指摘である。もう一つのアダルト系漫画雑誌の系列として、同じ頃から増加が始まったレディースコミックがある。当初はややソフトなムード的なセックス描写に止まっていたものは次第に過激になったが、これは読者層がエロ劇画誌とは異なっていたから、市場の取り合いという意味ではそれほど影響はなかったようである。むしろ新しい市場として、エロ劇画の書き手がレディースコミックへ流入する現象が見られた。したがって、その作風的にはエロ劇画誌の匂いが強い例もある。現在ではかつてのエロ劇画誌そのものと言える雑誌は存在しているがその数は随分少なくなった。ただしロリコン系、あるいは美少女系の雑誌はその幅を広げ、エロ劇画をその中に取り込んだと言える様子が見られる。他方、一般青年漫画の方も性的描写が多くなり、この方向でもエロ劇画との境界は不明瞭になっている。そういった中で、純然たるエロ劇画誌はその絵柄においては新しいものを取り込みつつ、健在ではあり、今後も一定数の存在が続くものと思われる。それは、他系統誌にはない独自性も持っているからである。ロリコン系や美少女系には見られない、この手の雑誌における特異なジャンルとしては熟女あるいは人妻もの、時代物、任侠もの、それにギャンブルものがある。それらにエロシーンをからませたものがこの分野の主流である。

出典:wikipedia

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