ザ・ロネッツ(The Ronettes)は、ニューヨーク出身の1960年代の女性歌手グループ。フィル・スペクターのプロデュースで知られる。代表曲は、「あたしのベビー()」「ベビー・アイ・ラヴ・ユー()」「(The Best Part of) Breakin' Up」「(Walking) in the Rain(恋の雨音)」など。リードシンガーのヴェロニカ・ベネット(別名ロニー・スペクター)が「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第69位にランクインしている。1958年に、フランキーライモンの楽曲「恋は曲者」にはまったヴェロニカ・ベネットが、実姉と年下のいとこを誘って結成した。メンバーは、リードシンガーのヴェロニカ・ベネット(Veronica Bennett;別名ロニー・スペクター())(1943年8月10日生まれ)、ヴェロニカの姉のエステル・ベネット()(1941年7月22日生まれ-2009年2月11日没)、そしてベネット姉妹のいとこのネドラ・タリー()(1946年1月27日生まれ)の3人。最初はドリー・シスターズと名乗っていた、これはロニー達の祖母がいつまでもお人形さんのように可愛い姉妹(dolly sisters) でいて欲しいという、願いを込めてつけたものだった。しかし、ロニー達はすぐにロニー&レラティヴス(Ronnie & the Relatives)とグループ名を変え、その後ロネッツとするに至った。これは、ロニーの母親がロニーの名前をもじって付けたものだった。そして、3人でペパーミントラウンジというクラブに遊びに行ったところ、3人ともかなり派手に着飾っていたため、ステージのダンサーと間違われステージに上げられてしまったことがきっかけとなり、ダンサーグループとして活動を開始、その後コロンビアピクチャーズ傘下のコルピックス(Colpix)レコードにスカウトされ、1961年にレコードデビューをする。しかしながら、ヒットに恵まれなかった。そこでロニーの姉のエステルが、ダメ元でフィル・スペクターのプロダクションに連絡したところ、スペクターは会う事を承諾。そこで行われたオーディションでロニーの声にスペクターが興味を持ち、ロネッツは彼の持つフィレス(Philles)レコードと契約を交わす事となる。そして、1963年にフィレスレコードからの彼女達の最初のシングル「Be My Baby」(邦題・あたしのベビー)がリリースされ、同年の8月にビルボードチャートで最高2位、イギリスでも4位の大ヒットを記録するに至った。その後も「Baby, I Love You」「Walkin' In The Rain」など数多くのシングルをリリースしヒットを記録していたものの、1960年代中期には活動休止し、1966年夏、ビートルズ最後のコンサートツアーの前座として北米を周ったのを最後に、解散した。後に復活したものの、あまり人気が出なかった。70年代には、エステルとネドラに代わりチップ・フィールズとダイアン・リントンを新しいロネッツのメンバーとして活動していたこともある、74年にはダイアン・リントンに代わりデニス・エドワーズが加わり活動していた。ヴェロニカは、1968年にフィル・スペクターと結婚。1973年に離婚した後、ソロ活動を開始した。2009年2月11日、ロニーが自身のHPで、姉エステルの死を伝えた。2004年、ヴォーカルグループの栄誉の殿堂()入りを果たす。ダーレン・ラヴ()と共に、長期に亘ってロックの殿堂入りの資格があったにも拘らずそれが遅れたのは、ロックの殿堂の理事会員であるフィル・スペクターから執拗な妨害を受けたためであるといわれている。妨害の理由とされているのは、ヴェロニカとフィルが離婚したことや、未払いの著作権使用料を巡ってロネッツがフィルを訴えた(結局、ロネッツ側の敗訴に終わった)ことなどである。しかし2007年3月12日、フィルが殺人事件で起訴され100万ドルで保釈されている間にロネッツはロックの殿堂入りを果たし、ニューヨークのウォルドルフ=アストリアでセレモニーに出席した。プレゼンターは、ロネッツの長年のファンと自任するキース・リチャーズ。ヴェロニカとネドラが、「Baby I Love You」と「Walking in the Rain」と「Be My Baby」を歌った。エステルは出席していたものの、出演はしなかった。
出典:wikipedia
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