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ナショナル・ヘルス

ナショナル・ヘルス(National Health )はイギリスのカンタベリー系プログレッシブ・ロックバンド。1975年:モント・キャンベル、デイヴ・スチュワート、アラン・ガウエン、フィル・ミラー、フィル・リー、アマンダ・パーソンズにより結成。
     結成当初はハットフィールド・アンド・ザ・ノースとギルガメッシュ の合体プロジェクトとして発足した。
     ドラマーは固定しておらず様々なドラマーが臨時で参加していた。1976年:キャンベル脱退、ニール・マーレイ加入。ビル・ブルーフォードが正式メンバーとなる。1977年:ブルーフォード脱退(UK→ブルーフォード)、、ピップ・パイル加入、更にガウエン、パーソンズ脱退。
     スチュワート、ミラー、マーレイ、パイルで1st「National Health」録音。
     元メンバーのガウエン、パーソンズがゲストで全面的に参加した。1978年:マーレイ脱退(ホワイトスネイクへ)、ジョン・グリーヴス加入。
     スチュワート、ミラー、グリーヴス、パイルで2nd「Of Queues And Cures」録音。
     ジョージー・ボーン、リンゼイ・クーパー加入。メンバーの半分が元ヘンリー・カウとなる。
     スチュワート脱退。(ブルーフォードへ)、更にボーン、クーパー脱退。
     スチュワートに代わる適当なキーボード奏者が見つからなかったため、ツイン・ギター編成にしようと試みフランス人の
     アラン・エカートを加えリハーサルを行うが、結局上手くいかずに断念。1979年:ガウエン復帰。1980年:ガウエンの体調悪化のため解散。1981年:ガウエン白血病により死亡。ガウエン追悼のため第4期メンバーで再結成、3rd「D.S.Al Coda」録音。結成当初はハットフィールド・アンド・ザ・ノースとギルガメッシュ の合体プロジェクトとして発足したが、主導権を握っているのはキャンベルとスチュワートであり、音楽的にはエッグのサウンドの発展型と言える。特にキャンベルの書く複雑な曲が特徴的。キャンベル脱退後~2ndまではスチュワートが完全に主導権を握り、スチュワートのオルガン、ミラーのギターを核としたハットフィールド・アンド・ザ・ノースをよりシリアスにしたサウンドとなった。2nd録音後にボーン、クーパーが加入してからは、メンバーの半分が元ヘンリー・カウとなりフリー・インプロヴィゼーション色が強くなった。スチュワート脱退、ガウエン復帰後も、インプロヴィゼーション色が強く、ヘンリー・カウからの影響が色濃く残っている。演奏面ではミラーのギター、ガウエンのシンセが核となっている。再結成後は第4期のメンバーだが、1st、2ndと比較するとインプロヴィゼーションの比率が高い。ナショナル・ヘルスと言うバンド名は、スチュワート愛用のメガネの事を示す。イギリスでは国がメガネを支給してくれるシステムがあり、そのことを「ナショナル・ヘルス」と言ってスチュワートを揶揄したのが始まり。1973年11月にハットフィールド・アンド・ザ・ノースとギルガメッシュが共演、ダブル・カルテットとして演奏した。このコンセプトがナショナル・ヘルス結成に繋がった。'Binoculars' という曲のイントロがサンプリングされ、アメリカのバンド の 'Black Moon' という曲に使用されている。ライブ「Missing Pieces」録音。1st「National Health」録音。2nd「Of Queues And Cures」録音。リハーサルのみ。ライブ「Playtime」録音。(エカート入りの音源も含む)
ライブ「Missing Pieces」1曲録音。アラン・ガウエン追悼のため再結成し、3rd「D.S.Al Coda」録音。全てガウエンの作品である。   1st、2nd、3rd全曲に加え、第1期の演奏の抜粋、1990年のスチュワート、ミラーによる2ndの曲の再演が収録されている。   ガウエンの死亡2週間前に録音された遺作。
   一応ナショナル・ヘルスの結成当初のコンセプトであるハットフィールド・アンド・ザ・ノース(Miller、Sinclair)と
   ギルガメッシュ(Gowen、Tomkins) の合体プロジェクト

出典:wikipedia

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