ジャックダニエル(Jack Daniel's)は、アメリカ合衆国テネシー州リンチバーグ()に本社を置く酒造メーカー。また、同社が製造するテネシー・ウイスキーの代表的な銘柄。いずれも、同社の創始者であるジャック・ダニエル()に由来する。同社は1957年よりケンタッキー州ルイビルのの子会社となっている。「ジャックダニエル」は輸入元のサントリーアライドによる表記であるが、より原音に近い「ジャック・ダニエルズ」という表記が用いられることも多い。1970年から、日本におけるジャックダニエルの輸入を担当していたサントリーであるが、2012年12月をもってブラウン=フォーマンとの契約期間終了に伴い、2013年1月からアサヒビールに輸入権が委譲され、アーリータイムズと共に移り変わった。またサントリーもこれまでアサヒが輸入を担当していたジム・ビームの輸入権を獲得し、同年同月から販売するようになった。1850年、テネシー州リンチバーグでジャスパー・ニュートン・"ジャック"・ダニエル(1850年 – 1911年)は貧困な家庭で生まれ、家族の友人に預けられ7歳からルター教会の牧師であり蒸溜所のオーナーであったダン・コール家に雇われる事となる。それをきっかけにジャック・ダニエルはダン・コールからテネシー・ウイスキー独自の製造法である原酒を樽詰めする前にサトウカエデの炭でろ過する「」と呼ばれるチャコール・メローイング製法でのウィスキーの造り方を教わる。1863年9月には牧師としての仕事に専念するためにダン・コールは、13歳であったジャック・ダニエルに蒸溜所を譲り、そこからジャック・ダニエルとしての本格的なウィスキー造りが開始される。1866年には自身で作ったウイスキーを自分の名前を刻んだ陶器のジャグに詰め込み販売を始め、同年に政府が酒類にも課税すると見込み蒸溜所を政府に登録し、アメリカにおいては初の政府公認の蒸溜所となる。その後、1904年、ミズーリ州のセントルイスで開催されたセントルイス万国博覧会でオールドNo.7(後のブラックラベル)を出品し、世界各国のウィスキーの中で唯一金賞を獲得し、知名度も上がりそこから世界的に認められるようになる。しかし、1919年にアメリカ政府によって禁酒法を施行され、50年以上続いた蒸溜所は事実上閉鎖へと追い込まれる事となる。禁酒法撤廃後にはジャック・ダニエルの甥であったレム・モトローによって再建されるが、彼の死後、蒸留所を継ぐものはおらず彼の家族によってアーリータイムズなども擁する酒類販売・製造企業のブラウン・フォーマン株式会社に買収され、現在に至る。ジャックダニエル社の本社があるは禁酒郡(ドライ・カウンティ、dry county)のひとつで、禁酒法施行以来郡内での酒類の販売が禁止されている(ただし、ジャックダニエルの蒸溜所では観光客向けの少量販売が認められている)。原料はとうもろこし80%にライ麦、大麦麦芽を使用する。貯蔵するオーク樽はルイヴィルのブラウン・フォーマンクーパレッジで製造される。チャーリングの前にトースティングというジャックダニエル専用の低温焼入れ工程を行っている。サトウカエデの炭の生産は工場内で行われており、アルコール濃度70%のジャックダニエルの蒸留液を着火剤として使用している。チャコール・メローイング工程では細かくしたサトウカエデの炭を高さ3mの巨大な樽に敷き詰め、蒸留所から直接パイプで運ばれてきた蒸留液を濾過している。2016年7月に日本でも発売。熟成&チャコール・メローイング製法を経た後、シュガーメイプル(サトウカエデ)の新樽にて再度熟成させてから、2回目のチャコール・メローイング製法を行うことで、豊かなフレーバーとスムースさを表現したウイスキー。ロック・ミュージシャンに愛飲者が多い。ガンズ・アンド・ローゼスのスラッシュは一時期、ボトルを常に持ち歩くほどのヘビー・ドランカーであり、モーターヘッドのレミー・キルミスターは『コーラのジャックダニエル割り』を愛飲していると言われる。元ヴァン・ヘイレンのマイケル・アンソニーは、ボディにジャックダニエルのラベルを描いたエレクトリックベースをライヴでよく使用していた。高見沢俊彦もボトルを模したギターをESPに特注している。一方、桜井賢はレミー・マルタン柄のベースを所有している。2009年にはサントリーのキャンペーンで、ラベルを描いたギター(ESP製)がプレゼントされるというものがあった。ただしセミアコタイプで、高見沢のものとは別物である。"IT'S NOT SCOTCH. IT'S NOT BOURBON. IT'S JACK."(「スコッチでもない。バーボンでもない。ジャック ダニエル」の対訳がCMで振られている)
出典:wikipedia
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