ホエール (USS Whale, SS-239) は、アメリカ海軍の潜水艦。ガトー級潜水艦の一隻。艦名はクジラに因む。ホエールの名を持つ艦としては初代。太平洋戦争前および戦争中の日本でガトー級潜水艦は、この艦の艦名と存在までが知られていた。ホエールは1941年6月28日にカリフォルニア州ヴァレーオのメア・アイランド海軍造船所で起工する。1942年3月14日にA・D・デニー夫人(造船所司令官の妻)によって進水し、艦長ジョン・B・エザー少佐(アナポリス1930年組)の指揮下1942年6月1日に就役する。ドックでの公試および最初の整調訓練は7月30日に開始した。駆逐艦 ("USS Kilty, DD-137") の護衛を受け、ホエールはカリフォルニア州サンフランシスコを8月4日に出航、2日後にサンディエゴに到着した。7月30日から9月9日までホエールはサンディエゴ、サンフランシスコ海域で訓練を行った。9月23日にサンフランシスコを後にして4日後に真珠湾に到着した。10月9日、ホエールは最初の哨戒で日本近海に向かった。ミッドウェー島で給油の後、10月25日に担当哨戒に到着。この海域でホエールは、陸地から20マイル離れたところに機雷を敷設するよう命じられていた。10月25日、ホエールは予定通りに紀伊水道に敷設を行い、これはアメリカ軍が日本近海で機雷を敷設した最初の記録となった。敷設した翌日の10月26日、特設運送船霧島丸(国際汽船、8,120トン)がの日ノ御埼沖で触雷し、機雷敷設が日本側に知れ渡ることとなった。日本側は23個の機雷を確認し、捕獲した現物は横須賀海軍工廠に送られた。霧島丸が触雷する数時間前、、ホエールはの地点で複数の輸送船を発見し、まず9,400トン級貨客船に対して魚雷を2本発射し、うち1本が命中したと見るや3本目の魚雷を発射し、これも命中したと判断される。続いて、最初の目標に続行していた5,000トン級中型輸送船に対しても魚雷を1本発射し、これも命中したと判断された。やがて3番目の目標である7,500トン級輸送船と4番目の輸送船に対しても魚雷を2本発射したが、その結果は定かではなかった。このように次々と攻撃し、何度か魚雷の爆発音が聞こえ、観測してみると1隻はひどく傾いているように見えたが、実際には輸送船博進丸(大連汽船、1,482トン)が雷撃を受けたものの被害はなかった。10月27日から28日にかけては豊後水道の入口付近、足摺岬と室戸岬間の高知の南方海上で哨戒を行う。10月30日、ホエールはの地点で敷設艇成生に護衛された2隻の輸送船を発見し、成生と特設運送船玉島丸(飯野海運、3560トン)に対して魚雷を2本ずつ計4本発射したが、成生の爆雷攻撃によりホエールは少なからずダメージを負い、成生の追跡は以後17時間も続いた。ホエールは360フィートの深度に潜み、何とか反撃から逃れることができた。11月10日、ホエールは32日間の行動を終えて真珠湾に帰投。1943年1月2日まで修理が行われた。1月3日、ホエールは2回目の哨戒でマーシャル諸島方面に向かった。途中で訓練を実施した後、1月10日からはクェゼリン環礁とウォッジェ環礁の近海で2日間の哨戒を行った。1月13日、ホエールはクェゼリン環礁とトラック諸島間の航路の哨戒に移動。ほどなくの地点で1隻の輸送船を発見し、この目標に対して魚雷を4本発射した。攻撃を受けた特設運送船(給炭油)岩代丸(会陽汽船、3,550トン)は船尾と船橋の下に魚雷が命中し、6分で沈んでいった。ホエールは再びトラック諸島に向けて航海した。1月17日、ホエールはのトラック諸島北約400キロの地点で2隻の大型船を発見。護衛艦はいなかった。14時過ぎ、ホエールは大型船のうちの1隻である海軍徴傭船平洋丸(日本郵船、9,815トン)に対して、まず魚雷を5本発射して4本命中させる。続いて艦尾発射管から魚雷を1本発射し、平洋丸の後部に命中させた。平洋丸は沈む気配を見せず、約2時間後にさらに魚雷を計3本発射し、全て命中させる。最後の攻撃から約1時間たって後に平洋丸は沈み、ホエールは平洋丸を観測し、何百人ものの軍人が脱出しているのを見た。ホエールは次の1週間をカロリン諸島での哨戒にあてた。1月25日夜、ホエールはの地点で「昭洋丸級タンカー」を発見して追跡し、日付が1月26日に変わった直後に艦尾発射管から魚雷を3本発射して1本が命中したと判断されるが、反撃を受けてダメージを負った。浮上哨戒を行っていた同日午後にも輸送船を発見し、夜に入っての地点で魚雷1本を発射し命中させたが、乾いた音しか聞こえてこなかった。1月27日朝、ホエールはの地点でサイパン島東方約470海里の地点で輸送船を発見し、魚雷を2本発射するが命中しなかった。ホエールは追撃し、午後に入っての地点で最後に残った1本の魚雷を発射して目標に命中させた。ホエールは一連の攻撃で特設運送船松安丸(松岡汽船、5,624トン)に損傷を与え、松安丸はサイパン島に曳航されていった。2月2日、ホエールは30日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投。艦長がアルバート・C・バローズ少佐(アナポリス1928年組)に代わった。2月28日、ホエールは3回目の哨戒でマリアナ諸島方面に向かった。3月10日にはサイパン島の沖に張り付き、出入りする日本の艦船を警戒した。3月19日の夜、ホエールは護衛艦1隻を伴った「最上川丸級」と「ありぞな丸級」の2隻の大型輸送船を発見。ホエールは3月20日朝に至り、の地点で魚雷を3本ずつ計6本発射。魚雷はそれぞれの目標に2本ずつ命中したもの判断されたが、浮上した途端反撃を受け、ダメージを負ったので退避せざるを得なかった。それでもホエールはタナパグ港の沖に依然として張り付いていた。3月22日、ホエールは2隻の輸送船を発見したものの逸してしまった。しかし、翌3月23日未明になって、の地点でこれとは別の2隻の輸送船を発見し魚雷を3本発射。魚雷は手前にいた特設運送船乾陽丸(乾汽船、6,486トン)に2本命中し、乾陽丸は4分で沈んでいった。乾陽丸が沈む前、ホエールは止めで艦尾発射管から魚雷を1本発射し、不安定な動きを見せたが命中したようには見えた。護衛艦がホエールめがけて突進してきたので、ホエールはこれを避けて潜航避退していった。3月25日にもの地点で小型輸送船を発見し、魚雷を三度にわたり計7本発射したが、全ての魚雷が不安定な動きをしてこれまた命中せず、乗組員を失望させる一方であった。3月28日にもの地点で別の小型輸送船を発見し、最後に残っていた魚雷を3本発射するも今回も魚雷はまともに走らず、こうしてホエールは魚雷を使い尽くしてしまった。燃料の関係もあり、ホエールは3月31日をもって哨戒を切り上げ、4月6日にミッドウェー島に寄港した。4月11日、ホエールは42日間の行動を終えて真珠湾に帰投。修理と訓練に従事した。5月5日、ホエールは4回目の哨戒で日本近海に向かった。5月9日にミッドウェー島に寄港して翌日出港。5月15日、ホエールはウェーク島を爆撃するB-24の支援をするよう命令を受け、その日のうちに指定された海域に到着。翌日の空襲本番当日には反撃を受けて潜航をすることもあったが、19時22分に終了するまでおおむね任務を全うすることができた。また、島の南岸でタニー ("USS Tunny, SS-282") とフィンバック ("USS Finback, SS-230") が破壊した特設運送船諏訪丸(日本郵船、10,672トン)の姿を見ることが出来た。5月20日から24日まではロタ島の偵察などに従事。翌25日、ホエールはグアムに接近し、アプラ港に3隻の船舶がいることを確認してホエールは待ち伏せ攻撃を行うことに決めた。そうこうしている内にアプラ港を出港してきた特設砲艦勝泳丸(大和汽船、3,580トン)を発見し追跡。5月26日0時14分にの地点で魚雷を3本発射し、最初の魚雷が命中した勝泳丸は4分で沈んでいった。6月5日には、の地点で「神川丸型水上機母艦」と思しき艦艇を発見して魚雷を4本発射し、3本の命中と判定される。その後もサイパン島周辺やサイパン行きの航路が通ると思われる海域に潜伏し、6月9日夜にはの地点で2隻の大型輸送船を中心とする輸送船団をレーダーで探知し、まず先頭の目標に対して魚雷を3本発射し、うち2本が命中したと判断された。続いて二番目の目標に対しても魚雷を3本発射し、これも2本の命中と判断される。攻撃の仕上げとして、さらに魚雷を3本発射して1本の命中を得たものと判定された。ホエールは8,000トン級貨客船と7,000トン級輸送船を大いに痛めつけたと評価した。6月21日、ホエールは47日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。7月21日、ホエールは5回目の哨戒で東シナ海に向かった。8月4日から6日にかけて台風に翻弄され、艦内に侵入してきた海水によって、いくつかの機器が故障してしまった。翌7日には小笠原諸島近海に到達。8月8日朝、ホエールはの硫黄島南東の地点で、駆逐艦朝凪と特設運送船(給兵)鳴門丸(日本郵船、7,149トン)からなる第4731船団を発見。魚雷を4本発射し、うち2本を鳴門丸の中央部と後部に命中させ、鳴門丸は右舷に傾きながら沈んでいった。ホエールは8月9日から10日間はこの近海で哨戒し、8月20日に台風シーズン真っ只中の東シナ海に移動。ここでも3日間台風に翻弄された。8月24日未明、ホエールはの草垣群島の西方20マイルの地点で輸送船団を発見し、魚雷を4本発射して2つの爆発音を聞き、7,000トン級輸送船と10,000トン級タンカーを撃破したと判断された。ミッドウェー島への帰途について2日後の8月26日朝にも、の地点で2隻の輸送船と千鳥型水雷艇と思しき護衛艦、フ806船団を発見し、魚雷を4本発射したが命中せず、魚雷を使い果たした。9月7日、ホエールは46日間の行動を終えて真珠湾に帰投。真珠湾でオーバーホールに入った。12月21日、ホエールは6回目の哨戒でシーウルフ ("USS Seawolf, SS-197") とともに小笠原諸島方面に向かった。1944年1月14日、シーウルフから輸送船団を発見した旨報告があり、シーウルフはそのまま輸送船団を攻撃し、「1隻撃沈、なおも追跡中」と報告があった。ホエールも1月16日朝になって、レーダーでその輸送船団を探知。夕方に入って潜航し、魚雷を3本を発射。魚雷は陸軍輸送船
出典:wikipedia
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