森川 俊民(もりかわ としたみ)は、下総生実藩の第9代藩主。江戸幕府の若年寄である。文化元年(1804年)、肥前島原藩の第2代藩主・松平忠馮の八男として生まれる。文政11年(1828年)11月に生実藩の第8代藩主・森川俊知の養子として迎えられ、文政12年(1829年)4月13日にはその長女・登志と結婚して婿養子となった。12月16日に従五位下・弾正忠に叙任される。天保9年(1838年)、俊知の死去により家督を継いだ。天保12年(1841年)4月に日光祭祀奉行に任じられ、弘化3年(1846年)7月17日に大番頭に任じられる。嘉永元年(1848年)10月18日に奏者番に任じられ、嘉永5年(1852年)7月8日に若年寄に任じられ、出羽守に遷任する。安政2年(1855年)4月19日に若年寄の辞職を求めたが許されず、9月19日になって病気を理由に辞職を許され、直後の11月5日に死去した。享年52。跡を三男の俊位が継いだ。婿養子ながら、女系では森川氏の血を引く。
出典:wikipedia
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