「百万本のバラ」(ひゃくまんぼんのバラ、)は、ラトビアの歌謡曲『』(ダーヴァーヤ・マーリニャ)を原曲とするロシア語の歌謡曲である。ソビエト連邦の歌手アーラ・プガチョワ()の持ち歌として知られる。日本では加藤登紀子による日本語版でも知られる。『百万本のバラ』の原曲は、1981年にラトビアの放送局「ミクロフォンス (Mikrofons)」が主催する歌謡コンテスト「ミクロフォナ・アプタウヤ ()」に出場した『(マーラは与えた)』というラトビア語の歌謡曲である。作曲はライモンズ・パウルス()、作詞はレオンス・ブリアディス (苗字のカナ表記はブリエディスともする。)による。『』は、このコンテストでアイヤ・ククレ ()とリーガ・クレイツベルガ ()の2人によって歌唱され、優勝した。歌詞の内容は、後述のロシア語版やその内容を踏襲した日本語版とはまったく異なり、大国にその運命を翻弄されてきたラトビアの苦難を暗示するものだった。ラトビアのラップ歌手のオゾルス ()が、この曲をラップミュージックに編集して歌唱している。アーラ・プガチョワの歌唱で知られるロシア語版の作詞は、アンドレイ・ヴォズネセンスキー()によるものである。1982年にメロジヤから33回転シングル盤として発売された。多くのテレビ番組やラジオ番組で取り上げられ、ソ連崩壊まで長きにわたって絶大な人気を博した。1983年には日本でもLP盤としてビクターよりリリースされ、1988年には同じくビクターよりCDが出された。歌詞の内容はグルジアの画家ニコ・ピロスマニがマルガリータという名の女優に恋したという逸話に基づいている。ラトビアの作曲家が書いた曲に、ロシアの詩人がグルジアの画家のロマンスを元に詞をつけ、モスクワ生まれの美人歌手が歌うという、多様な民族の芸術家が絡んでいる点で、ソ連ならではの歌とも言える。このロマンスの真実性については諸説ある。ピロスマニはマルガリータをモデルとしたといわれる作品を何枚か残しており、グルジアの首都トビリシの国立美術館で『女優マルガリータ』を観ることができる。1969年にパリでピロスマニの個展が開催された際にはマルガリータ本人と目される女性が現れたと伝えられる。一方、1975年にピロスマニについての研究書を著したエラスト・クズネツォフはこの著作の中でマルガリータの実在性に強い疑問を呈していた。山之内重美は2002年の著作において、ピロスマニにマルガリータという名の恋人がいたことは確からしいとしつつ、彼女がバラの花を愛した、とか、画家が大量の真紅のバラを贈った、といったエピソードはヴォズネセンスキーの創作だとしている。2007年にはロシアの文化テレビ局が放送したピロスマニについてのドキュメンタリー番組でパリでの個展の際の出来事が紹介された。日本語版は、加藤登紀子の訳詞および歌唱にて1987年にシングル盤として発表されたバージョンが著名である。加藤の「百万本のバラ」は元々1986年9月25日発売のオリジナルアルバム『MY STORY/時には昔の話を』収録曲だったが、問い合わせが相次ぎ1987年4月25日にシングル発売された。その後この曲は口コミで広まり、シングル発売から2年ほど後に100万枚を突破した。
出典:wikipedia
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