ポプラレス()は、共和政ローマ末期の政治一派。日本語では民衆派、平民派と呼ばれる。共和政ローマの政治を主導してきた元老院に対し、平民の支持を基盤に政治を行おうとした一派をポプラレスという(これに対し、従来通り元老院主導による政治を行おうとする者たちを総じてオプティマテス、閥族派、元老院派と呼ぶ)。当時のローマは、ラティフンディウムの発展により、奴隷を多数所有する貴族や富豪が勃興し、自作農が没落した。自作農の多くが農地を失い、財産を持たないプロレータリとなった。これは一定以上の財産を持つローマ市民を徴兵して軍事を維持していた共和政ローマにとっては、軍事力の低下という大きな問題となった。ポプラレスは、そのような当時のローマ社会を是正するため、没落した平民らに農地の分配、その他の救済処置を行おうとした。しかしそうした改革は、既存の権力機構である元老院からは快く思われず、両者は対立関係にあった。ポプラレスと考えられる最初の政治家はグラックス兄弟である。彼らは市民集会を政治基盤とし、護民官に就任して改革を試み、貴族の土地所有を制限し平民に農地を分配しようとしたが、元老院の抵抗に遭い改革は失敗に終わる。しかしこのときから、ポプラレスとオプティマテスの争い、ひいては内乱の一世紀の幕が開ける。ポプラレスはガイウス・マリウスが執政官に就任していた頃に大きく勢力を伸ばした(マリウス派)。マリウスは軍制改革によってグラックス兄弟とは別の形で没落した平民を救済すると同時に、ローマの軍事を建て直した。だが、伸長したポプラレスはルキウス・コルネリウス・スッラが独裁官に就任すると、その多くが粛清された(最後のマリウス派、クィントゥス・セルトリウスの、3次の奴隷戦争)。紀元前78年のスッラ死去後、ポプラレスを称したガイウス・ユリウス・カエサルがローマ内戦を勝ち抜き権力を掌握。カエサルはかつてグラックス兄弟が頓挫した農地改革を実行し、ポプラレスは最盛期を迎える。その後、オプティマテスによってカエサルは暗殺されるが、彼の後継者であるガイウス・オクタウィウス・トゥリヌス、カエサルの部下であるマルクス・アントニウスとマルクス・アエミリウス・レピドゥスによって第二回三頭政治が結成されると、オプティマテスが多数粛清された。その後、ポプラレス同士であるオクタウィアヌスとアントニウスの権力闘争となり、政治一派としてのポプラレスの意義は薄れていった。
出典:wikipedia
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