イチャン・カラ()とは、中央アジア、西アジアの都市に見られる市街地の形態である。城壁に囲われた市街地で、日本語に直訳すると「内城」となる。城壁の外に発展した郊外の区域は「デシャン・カラ(ディシャン・カラ、外城)」と呼ばれる。1990年にユネスコの世界遺産に登録されたウズベキスタン共和国のヒヴァの旧市街地が特に有名であり、この項目では、ヒヴァのイチャン・カラについて記述する。中央アジアと西アジアの各都市に存在する内城のうち、無傷の状態で保たれているのはヒヴァのイチャン・カラのみであり、封建的・イスラーム的都市国家を知る上で一級の資料となっている。イチャン・カラは東西約450m、南北約650mに広がり、やや東に傾いた長方形をしている。城壁の高さは7-8m、基部の厚さは5-6m、全長2.2km、面積は26ヘクタールに及び、周囲を外壁のデシャン・カラに守られている。かつてヒヴァには城壁に死者を埋葬する旧習があり、埋葬された人骨の一部は城壁の表面に露出している。イチャン・カラには、20のモスク(寺院)と20のマドラサ(神学校)と6基のミナレットなど、50以上の歴史的建造物と250以上の古い住居が残る。ヒヴァの町の始まりとなったという伝承が残されているヘイワクの泉は、パフラヴァン・マフムード廟の中庭に存在する。1740年にイランのナーディル・シャーの攻撃によってイチャン・カラの建造物の多くが破壊されたが、これらの建築物はおよそ18世紀から19世紀にかけて再建された。1969年にイチャン・カラ全体が、博物館都市に指定される。1983年に大規模な旧市街地の改修工事が実施され、歴史記念物地区の建物は保存・改修され、老朽化が進んだ一部の建物が取り壊された。周辺の居住区では古い家屋の撤去と建て替えが行われ、街区の様相は大きく変化した。旧市街地の中心部と、東西南北を走る幹線道路沿いに王宮、マドラサ、ミナレット、聖者廟などの主要な建築物が並んでいる。夏季の熱気を避けるため、建物は全て北北東に向けて建てられている。イチャン・カラの景観を最も特徴付けているのは、透かし彫り彫刻が施された煉瓦の壁と四面に設けられた4つの門である。門にはそれぞれ東のパルワーン・ダルワザ門、北のバグチャ・ダルワザ門、南のタシュ・ダルワザ門、西のアタ・ダルワザ門の名前が付き、そのうち西のアタ・ダルワザ門は1920年に撤去されている。かつてのヒヴァ・ハン国の時代にパルワーン・ダルワザ門の外側では奴隷市場が開かれており、多くの奴隷たちがヒヴァで実施された建築事業に使役された。それらの土台は、10世紀に作られたと言い伝えられているが、現存の10メートルの高さを誇る門は、17世紀に修繕されたものである。市街地内に存在するミナレットの中で最大のものは、イスラーム・ホジャ・ミナレットである。最も古いミナレットは18世紀末に建立されたジュマ・モスクのミナレットであり、次いで1842年建立のパルワーン・ダルワザ門外側の道路沿いに位置するセイド・バイが古い。この2つのミナレットを結ぶ直線上に建立されたものが、1853年に工事が中断されたカリタ・ミノル、1905年完成のドルワン・カリである。
出典:wikipedia
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