シャンチー(象棋、拼音:xiàngqí、ベトナム語では)は、中国およびベトナムで盛んな将棋類であり、二人で行うボードゲーム(盤上遊戯)の一種である。中国では国家の正式のスポーツ種目になっている。この競技は中国語では「象棋」と呼ぶが、これは中国語でチェス類の一般表現にも使うため、特に区別する際には「中国象棋」と呼ばれる。ベトナム語では「」(コー・トゥオン:)というが、日本語では「カートン」と書かれることが多い。漢字表記になおせば「棋将」である。英語では、「xiangqi」または「Chinese chess」と呼ぶ。国際組織である世界シャンチー連合会は英語名を「xiangqi」としている。日本語では「象棋」「中国象棋」「中国将棋」などと表記されることもある。世界シャンチー連合会に加盟しており、日本における国内競技連盟である日本シャンチー協会では、日本における呼称・表記とも「シャンチー」とすることを定めているが、出版・報道では「象棋」という表記も行われている。たとえば、2008年に開催されたワールドマインドスポーツゲームズの種目に本競技が取り上げられたことを紹介する新聞記事では、多くの新聞で「シャンチー」の表記を採用している。これに対し、広辞苑では第六版(岩波書店、2008年、ISBN 978-4000801218)で「シャンチー」「中国象棋」の両者が見出し語に加えられ、語義の解説は「中国象棋」に記載されている、日本における遊戯史研究の第一人者である増川宏一は、自著で「象棋」という表記を使っている、などの例がある。日本オリンピック委員会(JOC)では「シャンチー」を採用している。シャンチーの駒は円盤形で、片面に文字が書いてある。駒の材質は木やプラスチックなど。すべての駒の大きさは同じで、直径は2cm〜3cm前後のものが多い。駒の文字は、先手・後手の一方が赤、もう一方が黒(実際には緑など、別の色のことも多いが、常に「黒」と呼ばれる)で書かれる。現代では赤の駒を先手が使うのが普通である。駒は下図のように並べる。将棋と異なり、駒の向きに意味はない。実際の試合では、文字の向きが駒ごとにバラバラになるのが普通である。赤が帥(シュワイ)、黒が将(ジャン)。前後左右に一路進める。ただし九宮から出ることはできない。また前述の王不見王ルールのため、相手の帥・将と直接相対するような動きもできない。詰められると負けである。赤が仕または士(シー)、黒が士(シー)。斜めに一路進める。ただし九宮から出ることはできない。赤が相(シャン)、黒が象(シャン)。斜めに二路進めるが、駒を飛び越えることはできない。すなわち◆の位置に他の駒(敵味方を問わない)があれば、その方向には進めない。このルールを塞象眼(ぞうのめをふさぐ、サイシャンイェン)という。従って、駒に接する斜め4箇所に他の駒があれば、どこにも動けなくなる。この状態は塞相田あるいは塞象田(ぞうのたをふさぐ、サイシャンティエン)と呼ばれる。なお、中央の河を越えることはできない。赤が車または俥(チュー)、黒が車(チュー)。縦横に何路でも進める。将棋の飛車と同じ動き。なお、「車」という字は通常「chē」と発音するが、象棋の駒の場合は「jū」と読む。赤が馬または(マー)、黒が馬(マー)。八方桂やナイトと同じ動きだが、駒を飛び越えることはできない。すなわち◆の位置に他の駒(敵味方を問わない)があれば、その方向には進めない。このルールは塞馬脚(うまのあしをふさぐ、サイマーチャオ)と呼ばれる。従って、駒に接する上下左右の4箇所に他の駒があれば、どこにも動けなくなる。この状態は塞八方馬(うまのはっぽうをふさぐ、サイパーファンマー)と呼ばれる。チャンギの馬も同様の動き。(まず隣に1マス◆の位置に移動し、さらに斜め1マス◯の位置に移動するというイメージを持てば塞馬脚も理解しやすい)赤が炮または包(パオ)、黒が炮または砲または包(パオ)。縦横に何路でも進める。敵の駒を取るときは他の駒(敵味方どちらでも良い)を一つ飛び越えなければならない。飛び越えずに敵の駒を取ることは出来ないし、取らずに飛び越えることもできない。飛び越えない場合は将棋の飛車と同じ動き。赤が兵(ピン)、黒が卒(ツー)。前に一路だけ進める。河を越えると横にも一路進めるようになる。このゲームの成駒はこれ以外は無い。シャンチーの棋譜では、ひとつの手は「駒の名・移動前の駒の位置・移動方向・移動後の位置(上下に直進する場合は移動量)」各1文字の組み合わせで表される。盤の上下方向には名称がついておらず、位置は縦の列(左右方向)でのみ指定する。それぞれの自陣から見て右から左に、先手は一から九、後手は 1 から 9 の数字であらわす。駒の名としては「帥・将・仕・士・相・象・車・馬・炮・兵・卒」のいずれかを用い、「車・馬・炮」については赤と黒で区別しない。移動方向は「進(前進、将棋の「上」)、退(後退、将棋の「引」)、平(水平移動、将棋の「寄」)」のいずれかである。たとえば初手で赤が右の炮を中央に移動させた場合は「炮二平五」という。同じ列に同じ種類の駒が二枚または三枚ある場合、車・馬・炮・兵については駒の名の前に「前・後・中」をつけて区別する。この場合、あいまいさを生じなければ、移動前の駒の位置は表記しない。相や仕に関しては、おなじ列にあっても移動方向で区別がつくので、「前・後」を記す必要はない。理論的には、四枚または五枚の兵が同じ列に並ぶ可能性もあるが、現実問題としてはほぼ起こりえないため、その場合の表記方法は決まっていない。コンピュータ上ではそういうわけにもいかないので、いくつかの方式が提案されている。手数は、チェスと同様、先手と後手の着手をひとまとめにした「回合」によって数える。盤面図を描くときは、先手側が下に来るように描き、黒の駒は白黒反転することで表す。英語圏などでは、漢字を使用せずに棋譜を表記する必要があるが、その方式は一定していない。世界シャンチー連合会による方式(WXF notation)が公式に定まっている唯一の方式であるが、これは漢字による表記を直訳したもので、駒の名前をアルファベット1文字で(帥・将=K、仕・士=A、相・象=E、馬=H、車=R、炮=C、兵・卒=P)、移動方向は「進・退・平」をそれぞれ「+・-・.」で、「前・後」は駒の名の後ろに「+・-」をつけることで表す。たとえば、「炮二平五」は「C2.5」と表される。Xiangqi Review(XQR)方式と呼ばれているものもほぼ同様であるが、駒の略号が少し異なる(Gで仕・士、Bで相・象、Nで馬)こと、「平」を「=」で表すことなど、多少のちがいがある。ほかに、チェスの代数式表現をそのまま応用した方式などがある。ベトナムでは、中国式の棋譜をそのままクオック・グーで表記するか、それを省略した記号的な表記が使われる。後者は一見 WXF 方式に似ているが、駒の名前にベトナム語の名称の頭文字を使っており、記号の対応も異なる。「炮二平五」であれば「Pháo 2 bình 5」または「P2-5」と記す。シャンチーの千日手の規定は非常に複雑である。原則として、相手が対応せざるを得ないような攻撃によって同一局面を繰り返すこと(その典型的な場合が連続王手による千日手)は禁止されており、3回繰り返す前に手を変えなければ、たとえそれ以外に動かせる駒がなかったとしても、攻撃している側の負けとなる。ただし両者がともに禁止されている攻撃を行っている場合は、引き分けとなる。それ以外の場合は引き分けとなる。中国の国内ルールでは、「将」(王手)・「殺」(詰めろ)・「捉」(駒当たり)をまとめて「打」と呼び、「打」の連続による千日手は攻撃している側の負けになる。このうち特に問題になるのが「捉」で、のように、例外の多いルールとなっており、正しく判断するのは難しい。現在の公式試合で通常使われている2011年試行版のルールブックは、全141ページのうち90ページ以上を千日手の説明に費やしている。アジアシャンチー連合会による国際ルールも同様に複雑だが、中国ルールとは異なっていて、例えば詰めろの連続による千日手は引き分けになる。なお、公式試合の中には25回合(50手)以内の引き分けを禁止しているものがあり、この場合は25回合以内に千日手引き分けにすることが許されず、先手が手を変えなければならない。将棋の振り駒のような、先手・後手を決める決まったやり方があるわけではない。赤と黒の駒(炮が普通)を1枚ずつ両手に握って当てさせたり、トランプの1から10までのカードを引いて、数が多い方に先手・後手のどちらを持つかを決めさせたりする。シャンチーの持ち時間は、チェスの方式を元にしており、秒読みは存在しない。対局時計は競技者自身が操作する。具体的な方式は大会ごとの違いが大きいが、最近の主要な大会では、持ち時間60分、1手指すごとに30秒追加(チェスのフィッシャーモードに相当)のように決められていることが多い。持ち時間が15分以内の早指し(快棋)大会もさかんに行われている。引き分けによる無勝負を避けるための追加試合(加賽)では、先手の持ち時間を後手より多くしておき、そのかわりに引き分けは後手の勝ち、とすることがある。手合割についての公式のルールは存在しないが、慣習として、駒落ち(譲子)と、下手が最初に数手指すことができる方式(譲先)がある。駒落ちは、上手が車・馬・炮のうち1枚または複数枚を落とす。馬を片方または両方落とすことがもっとも多い。下手が最初に数手指すことができる方式では、一先(通常の先手)・二先(下手が2手指してから上手が指す)・三先(下手が3手指してから上手が指す)などがある。ただし、同じ駒を複数回動かしてはならない・上手の駒を取ってはならない・駒が河を越えてはならないなどの制約がある。シャンチーの序盤は一般に将棋やチェスよりも短く、ゲームがはじまってから双方が10手ほど指す間を序盤とする。帥・将は序盤のうちは初期位置から動かすべきではないとされる。将棋において居玉が避けられるべきというのとは対照的である。囲いのようなものもないが、敵の炮から帥・将を守るために士や象を中央に積み上げる形はよく見られる。ただし、あまりにも早いうちに士・象を上に上げると、自分の車や炮が横に移動できなくなる。理論上、初手としてありうる手は、左右対称形を除いて23通りある。しかしそのうち指す意味のある手はそれほど多くない。将棋とおなじく、シャンチーで攻撃の主体になる駒は車なので、まず車を活用する必要があるが、たとえば車を初手で上にあげると、即座に敵に馬を取られてしまう。オンラインのサイト「象棋百科全書網」やオープンソースのシャンチー対局・棋譜管理プログラム「象棋巫師」の作者である復旦大学の黄晨は、チェスのECOにならって、2004年に8,197の棋譜を序盤の戦形ごとに分類し、ECCOと名づけた。以下はECCOで採用数の多い順に述べる。当頭炮とも呼ぶ。昔から現在に至るまで、初手でもっとも多いのがこの形で、ECCOによると4,959局(全体の60%)を占めていた。中炮は炮を中央に振って、敵の守りの要である中央の卒に狙いをつけ、同時に敵の炮による自分の馬への当たりを外して、車が自由に動けるようにしている。放置して中央の卒を取られると、後手は士や象がまったく動けなくなって窮地に陥る。これに対して後手の指し手にはこちらも炮を中央に振り、中央の卒を取られた時に士で守れるようにする順手炮(または順炮、炮8平5)、逆の炮を中央に振る逆手炮(または列手炮・列炮、炮2平5)、両側の馬を上げて中央の卒を守る屏風馬、両側の馬を上げるがその間に炮(通常は炮8平6)をはさむ反宮馬、片方の馬を端にはねる単提馬(馬2進3、馬8進9)などのディフェンスがある。なお、中炮よりひとつ少なく振る(炮二平四)のを「仕角炮」、逆にひとつ多く振る(炮二平六)のを「過宮炮」と呼ぶが、初手に指される頻度はあまり高くない。中炮の次に多い初手で、ECCOでは1,669局(20%)を占める。相手の手に乗って指す指し方。後手も同様に卒3進1と指すと穏やかな進行になる。炮8平7と伸ばしてきた兵を狙う(卒底炮)と激しい序盤になることがある。ほかに後手には中炮や飛象など選択肢が多く、変化を暗記するのは困難である。初手で相を中央に上げる。ECCOでは957局(12%)を占める。比較的最近に整備されたオープニングだが、統計によると他のオープニングよりも引き分けが多い。まず自分の帥を安全にしてから攻めようという手で、後手の対応としては過宮炮(炮8平4)や士角炮(炮2平4)から、左側の馬などを上げていく方法などがある。やはり中炮や飛象などの対応も可能である。初手で馬を上げる。ECCOでは293局(3.6%)。守りを重視した作戦だが、その後「炮二平一・車一平二」のように車で二筋を制圧する狙いもある(この3手を「三歩虎」と呼ぶ)。後手の対策としては、先手に馬の前の兵を上げさせない「卒7進1」が多い。逆の側の卒を突き(卒3進1)、先手も「兵三進一」と進めると、仙人指路に合流する。中盤は、多くの駒によるねじりあいで、ゲームの進行の中でもっとも複雑な部分である。定跡化されておらず、序盤や終盤に比べて長い考慮時間を費やす必要がある。日本の将棋と違って、シャンチーは最初から駒と駒の間に隙間が多いので、攻め駒は簡単に敵陣に進入できそうに見えるが、敵陣内に駒が多い状態で駒がひとつだけ進入しても、大きな効果を上げることはできず、敵陣にはいった駒がかえって攻撃目標にされてしまう。とくに車や炮の横効きを使った反撃は強烈である。炮で敵陣の駒を取るときは、取った後の炮が動けなくなる可能性をあらかじめ考慮に入れておく必要がある。渡河する馬や兵が離れ駒にならないように、前もって車・炮を河のところに上げておく手法はよく用いられる。車を使って縦の筋を制圧するのは効果的である。とくに九宮の両端にあたる四筋と六筋は、「肋道」と呼ばれて重視される。攻め駒(車・馬・炮)と守り駒(士・象)の交換は、ほとんど常に攻め側の損になる。敵の守り駒を除くには両取りなどを利用することによって、攻め駒を取り返されないように注意する必要がある。終盤は、攻め駒が少なくなった状態である。中盤にくらべると駒が少ないぶん、変化の数は限られる。一般に、受け側の士・象が全部残っている場合、攻め駒が一枚では詰まないことが知られている。したがって、たとえば自分の攻め駒が車だけ、相手が車・炮を持っている場合は、自分の車と相手の炮を交換することで引き分けを狙うことができる。中国で寄せを説明するときは、基本的な詰め方に名前をつけて、それを数十種類あげるのが常である。たとえば、上記の棋譜の例にあげた詰みの型にも「悶宮殺」という名前がついている。しかし、それですべてを網羅しているわけではない。以下にいくつかの例を挙げる。日本の詰将棋やチェスのプロブレムと同様に、シャンチーでも残局が実戦から独立したパズルとして楽しまれている(「排局」と呼ぶ)。ただし、詰将棋とは異なって帥と将は両方存在し、かつ王手の連続で詰める必要はない。また、最後が引き分けになる場合も存在する。右図は「七星聚会」という名前がついており、『心武残編』(1800刊)・『百局象棋譜』(1801刊)・『竹香斎象戯譜』3集(1817刊)など様々な棋書に載っている有名な排局。1916年に英訳されている。本来の作者は不明である。一見したところ赤は受けなしに見え、王手の連続で黒を詰めなければならないものに見える。また、赤の攻め駒は豊富で、簡単に詰みそうに見える。しかし実はそれは罠で、たとえば「1. 炮二平四 卒5平6 2. 車二進九」は「2... 象5退7」と逆王手をかけられて赤が負けてしまう。即詰みは存在せず、したがって赤は巧妙な方法で詰めろを外し、その後の黒からの猛攻に耐える必要がある。互いに最善の手を指した場合、最後は引き分けに終わる。現在、愛好者数は約5億人で、チェスの3億人を超え、世界でも最もプレイヤーの多いゲームである。しかし、日本国内での愛好者数は20万人であり、将棋の1,500万、囲碁の600万人、チェスの100万人に比較してもなじみが薄い。全国象棋錦標賽は1958年からある選手権で、男子・女子それぞれの個人・団体戦が行われる。参加資格は前年の成績やレーティングなどによって定められ、誰でも参加できるわけではない。全国象棋等級賽は誰でも参加でき、成績優秀のものには大師・一級棋士・二級棋士・三級棋士などの称号が与えられる。全国運動会などのスポーツ大会の種目にもシャンチーが含まれている。中国には他のプロスポーツと同様に各地にシャンチーのプロチームが存在する。シャンチーの専業プロはチームから支払われる給料と対局費を主な収入としている。プロチームが参加する最大の大会は、約半年をかけて戦われる全国象棋甲級聯賽で、12の甲級チームがリーグ戦を行って順位を決める。下位の2チームは乙級と入れ替えになる。このほかにもさまざまな大会が存在する。アジアシャンチー選手権は、アジアシャンチー連合会が主催し、奇数年に個人戦、偶数年に団体戦が行われている。世界シャンチー選手権は、1990年から開かれ、はじめは世界シャンチー連合会準備委員会が、1993年からは世界シャンチー連合会が主催している。1991年からは奇数年に開催している。アジア室内競技大会・アジア競技大会 ・ワールドマインドスポーツゲームズでは、シャンチーが競技種目に含まれる。日本シャンチー協会の大会には、全日本シャンチー選手権大会・日本リーグ・全国選抜トーナメントなどがある。将棋でいう段級位のようなものは存在しない。チェスにならって、各機関がタイトルの認可を行っている。ただし、台湾では日本とおなじような段級位制をとっている。中国国内では、中国象棋協会が、棋士のレーティングによるランキングを発表するほか、特級大師(グランドマスター)・大師(マスター)・一級棋士・二級棋士・三級棋士の認可を行っている。2012年末の段階で、現存する特級大師は男子が28人、女子が22人である。称号は一度取ったら生涯持ち続けることができるので、必ずしも特級大師が大師より強いわけではない。世界シャンチー連合会のタイトルには、特級国際大師(国際グランドマスター)・国際大師(国際マスター)・棋聯大師(フェデレーションマスター)の3種類がある。アジアシャンチー連合会のタイトルには、亜洲特級大師(アジアグランドマスター)・亜洲大師(アジアマスター)がある。以下は2013年において複数回全国優勝している競技者である。シャンチーの盤面状態の種類は10、ゲーム木の複雑性は10と見積もられている。この数値は、シャンチーがチェスよりも複雑だが、将棋より単純であることを意味する。国際コンピュータゲーム協会(ICGA)の主催するコンピュータオリンピックには、1989年以来シャンチーの部門がある。台湾では、1980年代よりシャンチープログラムの開発が始まり、1998年には国立台湾大学のELPというプログラムが正式の大会に出場して5段と認められた(2001年には6段に昇進)。また、1999年以降、人間の高段者とコンピュータの対戦大会が毎年行われている。中華人民共和国は研究で台湾に立ち遅れていたが、21世紀にはいると長足の進歩を示し、2008年のコンピュータオリンピック北京大会では1位から8位までを中華人民共和国のプログラムが独占した(1位は倚天象棋(Intella))。2006年よりコンピュータゲーム選手権が行われている。2006年にはスーパーコンピュータ「浪潮天梭」上で動くシャンチープログラムと人間の大師5人との対戦も行われ、3勝2敗5引き分けでコンピュータが勝利した。チェスの場合と同様、思考エンジンを差し替えたり、エンジン同士を戦わせたりすることができるソフトウェアも多い。エンジンが使うプロトコルとしては、チェスと同じ WinBoard や UCI プロトコルのほかに、Qianhong の独自プロトコルや UCCI などがあり、プロトコル間の変換プログラムも開発されている。また、多くのソフトウェアは棋譜の保存や読み込み・再現ができるが、棋譜のフォーマットは統一されていない。チェスの PGN が使えるようになっていることが多いが、おなじ PGN でも棋譜の書き方が統一されていない問題と、PGN 自体の機能不足(変化手順を記すことができない)の問題がある。オンライン対局サイトもサイトごとにファイル形式が異なる。チェス・囲碁などの他の盤上遊戯と同様、シャンチーもインターネット対局が広く行われるようになっている。最初期のネットワーク上のシステムとしては、1993年にハーバード大学にいた陳曦によって設計されたICCS(Internet Chinese Chess Server)があり、これはクライアント・サーバー型のシステムだった。ICCSは現在は運用されていないが、ASCIIによる棋譜の表記方式のひとつであるICCS方式に今もその名が残っている。中国には「弈天棋縁」というシャンチー対局の専用サイトがあるほか、オンラインゲームサイトの「聯衆」や「QQ遊戯」などでもシャンチーの対局ができる。ほとんどは専用のソフトウェアをダウンロードして、サイトに登録する必要があるが、システム言語が中国語になっていないとソフトウェアが動かない場合がある。日本語が使える対戦サイトとしては「SDIN・PlayOK・BrainKing」などがある。英語のものは「Club Xiangqi・Chesscape」など、数が多い。シャンチーのルールのあいまいさ(とくに千日手関係の)と棋譜表記の不統一は、コンピュータ・インターネットで問題になるため、対局サイトが独自のルールを定義していることもある。シャンチーは他の将棋型ゲームと同様、インドのチャトランガを起源とするとされる。「象棋」という言葉自身は先秦時代から見られるが、当時「棋」といえば六博というダイスゲームを指しており、ここでいう象棋は象牙で作った六博の駒の意味で、現在のシャンチーとは無関係だった。また、北周(6世紀)の武帝は象戯というゲームを考案し、『象経』という書物を著した(現存せず)が、これもダイスゲームの一種で、現在のシャンチーとは無関係と考えられる(を参照)。秦末漢初時代に活躍した韓信が、楚漢戦争をモチーフにしてシャンチーを考案し、兵士に教えて慰撫したという伝説もあるが、詳細は不明である。チャトランガ系のゲームが文献にはじめてあらわれるのは唐代で、『太平広記』に収められた唐代の小説集『玄怪録』の一篇に、将棋の駒の動きを想起させる記述が残されている。小説である上に、解釈の難しい箇所があるため、この文章から当時のルールを知ることは難しい。一応以下の事が言える。『玄怪録』とほぼ同時期の白居易「和春深二十首」には「鼓応投壷子、兵沖象戯車。」といっており、これもチャトランガ系のゲームを指していると見られる。ほかに法蔵『梵網経菩薩戒本疏』で賭博の一種「波羅塞戯」について「是西国兵戯法。謂二人各執二十餘小玉、乗象或馬、於局道所争得要路以為勝也。」と言っているのもチャトランガ系のゲームかもしれない。現在式シャンチーが発生したのは、宋代と考えられている。北宋末期の女性詩人である李清照による『打馬図経』に、シャンチーと同じ配置の図が紹介されており、徽宗(在位1101~25)の遺物とされるシャンチーの駒や、北宋の首都であった開封から出土したシャンチーの駒が発掘されている。開封の駒は現在のシャンチーと同じ7種類(将・士・象・車・馬・砲・卒)で、円形の銅製の駒で、裏にはそれぞれの駒に対応する絵が描かれているが、士は女性で、砲は投石器になっている。11・12世紀のころには、正確な競技方法は不明ながら、さまざまなルールの異なる象棋が指されていたらしく、李清照の『打馬図経序』(1134)には「大小象戯」という語が見える。また、晁補之「広象戯図序」(『雞肋集』所収)では、当時指されていた象棋が縦横11路で、駒は34枚だったと記している(晁補之自身は、囲碁と同じ19路で、駒が98枚の「広象戯」を考案している)。13世紀の『事林広記』 には象棋の棋譜が残されているが、そのルールは現代のものと同じである。ただし駒の色は赤と黒でなくて白と黒になっており、駒の名称はどちらも「将・士・象・車・馬・砲・卒」で区別がない。南宋末の宮廷には「棋待詔」という、ボードゲームの専門家が雇われており、10人がシャンチーの専門家(うちひとりは女流)であった。明代にはいると、駒のデザインも現在と同じようになった。また、シャンチーに関する書物や棋譜も増加した。『橘中秘』(1632刊)には馬落ちの棋譜が載っており、駒落ちが普通に行われていたことがわかる。辛亥革命以降、上海の時事新報(日本の時事新報とは無関係)をはじめとして、多くの新聞にシャンチー専門の欄が設けられた。中華人民共和国では、1956年に公式ルールブック『中国象棋規則』が発行された。その後、数次にわたって改訂されている。書名も1960年に『中国象棋競賽規則』、1999年に『象棋競賽規則』と変更された。現代のルールは、持ち時間制度や先手・後手の決め方など、多くをチェスに倣っている。文化大革命中は、シャンチーも打破すべき旧文化のひとつとされ、全国大会も1966年を最後に開かれなくなっていたが、1974年には復活した。公式ルールは、赤を先手としている。このように定められたのはきわめて新しく、1981年のようである。シャンチーが日本に伝来した時期は明らかではないが、沖縄諸島には比較的早い時期に伝来したものと考えられる。沖縄地方に伝わる盤上遊戯である「チュンジー」はシャンチーとほぼ同じルールである。1972年(日本と中華人民共和国との間の国交が回復した年でもある)に『近代将棋』誌でシャンチーの紹介がなされたことで、日本の将棋愛好家を中心にシャンチーが知られるようになった。1973年には将棋棋士の大山康晴を中心に「日中象棋協会」が結成され、翌年から日本国内でも同協会による全日本選手権が毎年開催されるようになった。1991年には国際組織に加盟するために協会を改組し、名称を「日本シャンチー協会」と改めた。この際、改組に反対する一部の役員が脱退し、全日本選手権の分裂開催を画策するなどの混乱も見られたが、関係者の尽力により分裂開催は回避されている。日本シャンチー協会は、改組した翌1992年にアジアシャンチー連合会に加盟し、1993年に発足した世界シャンチー連合会にも発足と同時に加盟している。2008年現在、中国を中心に5億人の競技人口を持つ。2008年、中華人民共和国の北京市で開催される第1回ワールドマインドスポーツゲームズに、コントラクトブリッジ・チェス・ドラフツ(チェッカー)・囲碁とともにシャンチーが正式種目として行われることになった。シャンチーは開催国である中国側の強い要望により正式種目に加えられたとされる。この大会には世界143か国・地域から2763人が参加し、シャンチーには32か国・地域から198人が参加した。日本からも各競技に代表選手を選出しており、シャンチーには将棋棋士の所司和晴ら8人が参加した。日本代表は男子団体(女子団体は不参加)・男女個人戦などに参加し、男子団体で18チーム中14位などの成績となった。
出典:wikipedia
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