フリーライダー()とは、経済学においては、ことに公共財のように非排除性があるサービスについて、対価(供給のための費用)を支払わないで便益を享受する者を指す用語である。一般的に、物財やサービスは、対価を支払った者に限り便益を受けることができる。これを財の排除性という。しかし、他の経済主体に有利に働く正の外部性を有する財のなかには、公共財や情報財(例:ウィキペディア)のような排除性を有しない財がある。たとえば純粋公共財である消火活動や治安・国防などは、対象になる利用者を限定することが難しい(非排除性)。誰かが費用を負担してサービスを供給すれば、負担していない人も便益を受けられる。結果として、供給のための費用を負担する誘引は働かず、みながただ乗りをしようとするようになる。そのため、市場経済に任せた場合、これらの正の外部性を伴うサービスの供給が著しく過少になるという問題が生じる。しかしながら、必要不可欠なサービスである。そこで租税により、便益に関わらず広く負担を募り、公共サービスを提供し社会的需要を満たす。これらのサービスを提供するのは、租税によって活動する公共性の高い主体(政府や地方自治体)である。フリーライダー問題は、正の外部性から派生する問題である。これは正の外部性を有する財は、その生産が通例では過少となることによる。これに対して負の外部性を有する財では、過剰生産の問題が通例では発生するが、これはピグー税などの内部化による解決がはかられる。なお経済学上のフリーライダーは対価を支払わずに便益を享受する者を意味する。公害を発生させた工場所有者は、その対価を負担していないがフリーライダーではない。教育においては、教育費を負担した当人だけでなく、雇用主の企業にもその効果が取得される(正の外部性)。しかし企業はフリーライダーとして費用を負担せず、市場の下では教育費の支出が過少となる。花火大会の開催にあたっては、それを鑑賞する住民は、費用を負担することなく便益を享受することが可能である。そのため、開催の便益がその費用を上回ると考えられる場合でも、市場に任せた場合、花火大会は開催されることはない。そのため地方自治体などが住民から税を徴収することで花火大会を開催することが可能となる。上述の公共経済学におけるフリーライダー論(正の外部性を有しつつ排除性を有しない財をその対象とする)とは異なるが、実験経済学での日米比較実験によると、日本人はアメリカ人と比べ、自分が損をしてもフリーライドする人の足を引っ張る傾向にある。たとえば、友人と2人でアルバイトを始めるにあたり、店を選ぶ決定権が自分にある場合、自分も友人も10万円もらえる店Aと、自分は9万9千円もらえるが友人は8万円しかもらえない店Bがあれば、約1割の日本人がBを選択する。この傾向は小学生低学年には見られなかったことから、ある程度年齢を経るにつれ、徐々に得られるものだと思われる。また日米の大学院生を対象とした同様の実験では、日本の学生はアメリカの学生に比べて、自分の利益をかなり下げてでも、参加をしない相手に損をさせようとする傾向が高いという実験結果となった。そこから得られた示唆として、公共経済に対するフリーライダーのあり方にも、日本では独特の背景があるとしており、「日本の社会ではみんなで仲良く協力してコトにあたっているのではなく、協力しないと後が怖い、というところでしょうか」と結論している。
出典:wikipedia
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