ブランドン・パトリック・マッカーシー(Brandon Patrick McCarthy, 1983年7月7日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州グレンデール出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。現在はMLBのロサンゼルス・ドジャースに所属している。のMLBドラフトでシカゴ・ホワイトソックスから17巡目(全体510位)指名を受け、6月7日に契約。この年は傘下のルーキー級アリゾナリーグ・ホワイトソックスで14試合に登板し、4勝4敗、防御率2.76だった。はルーキー級グレートフォールズ・ホワイトソックスで16試合に登板し、9勝4敗・防御率3.65だった。はA級カナポリス・インティミデイターズで15試合に登板し、8勝5敗・防御率3.64だった。7月にA+級ウィンストン・セイラム・ワースホッグスへ昇格。8試合に登板し、6勝0敗・防御率2.08だった。8月にAA級バーミンガム・バロンズへ昇格。AA級では4試合に登板し、3勝1敗・防御率3.46だった。1月21日にホワイトソックスとマイナー契約で再契約した。AAA級シャーロット・ナイツで開幕を迎え、5月22日にホワイトソックスとメジャー契約を結んだ。同日のシカゴ・カブス戦でメジャーデビュー。5.1回を投げ4安打2失点だったが、勝ち負けは付かなかった。2度目の登板となった27日のテキサス・レンジャーズ戦では、5回を6安打6失点3四球の乱調でメジャー初黒星を喫し、試合後にAAA級シャーロットへ降格した。6月19日にオーランド・ヘルナンデスが故障者リスト入りしたため、メジャーへ昇格。昇格後は3試合に登板したが、防御率9.00と結果を残せず、7月5日にAAA級シャーロットへ降格した。8月30日に再昇格し、同日のレンジャーズ戦のダブルヘッダー2試合目に登板し、7.2回を無失点に抑え、メジャー初勝利を挙げた。この年は12試合に登板し、3勝2敗・防御率4.03だった。2月28日にホワイトソックスと1年契約に合意。リリーフとして開幕ロースター入りした。この年は53試合に登板し、4勝7敗・防御率4.68だった。2006年12月23日にジョン・ダンクス、ニック・マセット、ジェイク・ラズナーとのトレードで、デビッド・パイサノと共にレンジャーズへ移籍。2月26日にレンジャーズと1年契約に合意。移籍後は先発に復帰し、開幕ローテーションに加わった。6月14日に右中指のマメで15日間の故障者リスト入りした。7月2日に復帰したが、8月15日に右肩の故障で再び15日間の故障者リスト入りし、9月11日に復帰した。この年は23試合に登板し、5勝10敗・防御率4.87だった。2月25日にレンジャーズと1年契約に合意。3月30日に右肘の故障で60日間の故障者リスト入りした。8月23日に復帰。復帰後は5試合に登板したが、9月中旬から右手の指の故障で残りの試合を欠場した。この年は故障で5試合の登板にとどまり、1勝1敗・防御率4.09だった。1月15日にレンジャーズと65万ドルの1年契約に合意。開幕後は先発ローテーションの一角として登板し、5月24日のヒューストン・アストロズ戦では9回を9安打無失点に抑え、メジャー初完封を果たした。しかし6月9日に右肩の故障で15日間の故障者リスト入りし、7月7日に60日間の故障者リストへ異動した。その後、9月1日に復帰した。この年は17試合に登板し、7勝4敗・防御率4.62だった。1月15日にレンジャーズと132万ドルの1年契約に合意。3月27日にAAA級オクラホマシティ・レッドホークスへ配属され、そのまま開幕を迎えた。この年は右肩の故障でメジャーへ昇格できず、7月29日に60日間の故障者リスト入りした。AAA級オクラホマシティでは11試合に登板し、4勝2敗・防御率3.36だった。オフの11月5日に40人枠を外れ、AAA級オクラホマシティに降格し、同日にFAとなった。ジョン・ダニエルズGMはマッカーシーについて「彼はふたつの不幸な怪我があったが、よく働いてくれた。景色を変えることが彼の助けとなるだろう」と話した。2010年12月13日にオークランド・アスレチックスと100万ドル+出来高160万ドルの1年契約を結んだ。は開幕ロースター入りしたが、5月20日に右肩の故障で15日間の故障者リスト入りした。7月3日に復帰後は9月3日のシアトル・マリナーズ戦で完封勝利を挙げるなど、完全復活を果たした。この年は25試合に登板し、9勝9敗・防御率3.32だった。1月17日にアスレチックスと1年契約に合意。3月28日に東京ドームで開催されたシアトル・マリナーズとの開幕戦に先発した。その後もローテーションを守っていたが、5月20日に右肩の故障で15日間の故障者リスト入りした。6月2日に復帰したが、6月24日に右肩の故障で再び15日間の故障者リスト入りした。8月10日に復帰。9月5日のロサンゼルス・エンゼルス戦に先発した際に、試合中にエリック・アイバーの打球を頭に受けて緊急入院し、手術を受けた。その後プレーオフのロースターから外れた。この年は18試合に登板し、8勝6敗・防御率3.24だった。オフの10月29日にFAとなった。11月14日に練習を再開することが明らかになった。2012年12月11日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスと総額1550万ドルの2年契約を結んだ。は開幕ローテーション入りしたが、6月1日に右肩の故障で15日間の故障者リスト入りした。8月4日に復帰。この年は22試合に登板し、5勝11敗・防御率4.53だった。は18試合に先発したが、3勝10敗・防御率5.01だった。2014年7月6日にビダル・ヌーニョとのトレードで、ニューヨーク・ヤンキースへ移籍した。移籍後は14試合の登板で7勝5敗、防御率2.89と復調。この年は2球団で32試合に登板し、自身初の二桁勝利となる10勝(15敗)を挙げ、防御率4.05だった。オフの10月30日にFAとなった。2014年12月16日にロサンゼルス・ドジャースと総額4800万ドルの4年契約を結んだ。は開幕から4試合に登板して防御率5.87ながら3勝を挙げていたが、肘の故障が発覚し、トミー・ジョン手術を受けることとなり、4月30日に60日間の故障者リスト入りした。シーズンも、2月19日に前年のトミー・ジョン手術のため60日間の故障者リスト入りした。2006年は先発ローテーションの充実したホワイトソックスに所属していた為、リリーフで登板していたが、スタミナが比較的ある為、本来は先発向きの投手。投球は、140キロ後半のフォーシーム、145キロ前後のツーシームに切れ味抜群のカーブを組み合わせて投げている。また、チェンジアップも投げる事がある。ただ、投球回に対して被本塁打がかなり多い。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。