速吸(はやすい/はやすひ)は、大日本帝国海軍の給油艦。書類上は風早型運送艦の2番艦。艦名は瀬戸内海西口に位置する速吸瀬戸にちなんで名づけられた。航空機艤装を装備した補助空母というべき艦艇だったがそれを活用する機会なく、船団護衛中に米潜水艦の雷撃により沈没した。仮称艦名は第306号艦。本来は風早型給油艦の1隻として艦隊随伴型の給油艦で竣工する予定だったが、対潜哨戒用の水上機運用の要求により、艦型が大幅に変更され、更にミッドウェー海戦での主力空母4隻を失ったことを機に、当時開発中であった流星を射出機で発進させる給油艦に計画変更、計画番号はV9乙(またはJ33)とされた。しかし実際の運用では艦隊に随伴する事も、攻撃機も搭載する事も無かった。また、改マル五計画で建造予定だった鷹野型給油艦では搭載機を倍の14機とする計画だったが、戦況の悪化で建造は取り止めとなった。着艦能力は持たない為、射出機で発進させた艦載機は任務完了後は不時着水して搭乗員のみを自艦か僚艦に救護するか、付近の味方飛行場に代替着陸して帰港後に再度艦載される事となる。このような航空運用を行う艦船としてはイギリス海軍のCAMシップの例もあるが、速吸は本来艦隊運用を前提とした海軍所属の給油艦を改装したものである点で、民間所属船に軍用機を運用させ船団護衛に当たらせるCAMシップとは運用思想が異なっている。イギリス海軍の分類上は、こうした軍艦を改装し発進能力のみを持たせた艦艇は戦闘カタパルト艦とされているが、速吸や鷹野型はこのような形態であっても補助空母として「空母の補助兵力」に位置づけられている点で、輸送船団を護衛する目的で改装され、あくまで護衛空母が登場するまでのつなぎ役の一つであった戦闘カタパルト艦とも位置付けが異なっている。航空機搭載のため、速吸は風早とは大きく違った艦型となった。船体は中央の船橋楼甲板が無い2島型で、船首楼甲板を延長してその後端に軍艦型の艦橋と三脚式の前部マストを置いた。中央は上甲板上の高さ約5mの位置に幅21.5mに渡って甲板を設置し、甲板上に軌条とターンテーブルを設け、航空機6機と補用機1機を搭載した。その右舷前端にはカタパルト1基を設けたが、上端の高さを甲板の高さと一致させて運用を容易にした。船体中央部が主に重油タンクとされたが、船艙区画最後部には空母と同じ構造の全溶接の軽質油(ガソリン)タンクが設置され、その後方は自艦用の重油タンクとした。後部マストは2本とし5トンデリックがそれぞれに設けられ、航空機搭載用と横曳き給油用の兼用とされた。また給油設備として蛇管通路が左舷寄りに前後に全通して設けられた。補給用の糧食庫や弾薬庫などは船首楼の下部に設けられ、甲板上には3m角の小型の艙口を縦に2個設け、取り扱いのためのゴールポストと3トンデリック2基が艦橋前に設置された。船体後部は通常のタンカーと同様に船尾楼甲板が設けられ、機関室などが設置された。対空兵装は風早より強化され、高角砲は12.7cm連装砲を艦の前後にそれぞれ1基ずつ置いた。機銃は25mm3連装機銃を艦橋両側に1基ずつ置き、艦尾楼の煙突直後にフラットを設けて連装機銃1基を置いた。また艦側の要求により竣工後に25mm3連装機銃を後部マスト前方の上甲板上に左右舷それぞれ1基、煙突付近の上部構造物上に左右それぞれ1基の計4基、その他単装機銃を若干(約8挺から12挺)増備したとされる。電探と水測兵器も装備していた。1943年(昭和18年)7月31日、速吸と命名。同日附で夕雲型駆逐艦17番艦早霜、雲龍型航空母艦1番艦雲龍も命名されている。同日附で各艦は艦艇類別等級表に登録。本艦も特務艦類別等級表に登録された。1944年(昭和19年)4月10日、日本海軍は伊勢型戦艦2番艦「日向」副長杉浦経三郎大佐を速吸艤装員長に任命した。4月24日、竣工と共に杉浦艤装員長は正式に速吸特務艦長となり、速吸は佐世保鎮守府籍に編入される。中部太平洋方面艦隊付属、次いで連合艦隊付属となる。瀬戸内海で訓練を行ったあと、特設運送船(給油)日栄丸(日東汽船、10,020トン)とともにヒ船団に加入してタラカン島経由でバリクパパンに向かうよう命じられた。しかしその矢先の5月5日、速吸は伊号第一五五潜水艦(伊155)と衝突し、伊155は修理のため佐世保海軍工廠に回航されていった。衝突事故のため速吸の出撃は遅れ、5月11日に呉を出撃し南方に進出する。6月11日、フィリピン南部(ミンダナオ島)ダバオに到着する。6月13日、サイパン島に対する艦砲射撃が開始されて戦局が急展開し、あ号作戦(マリアナ沖海戦)が発動される。小沢治三郎中将(海軍兵学校37期)率いる第一機動艦隊はマリアナ沖を目指して進撃を開始し、補給部隊はこれに呼応して指定された配備点に向かった。速吸も駆逐艦初霜、夕凪および栂に護衛されて会合点に急行した。6月18日7時30分に第一補給部隊と合流した直後、速吸艦長は突然第一補給部隊の指揮を執ることを宣言する。「速吸」の第一補給部隊編入に関する命令は出ていなかったが、マニラに向かう途中の軽巡洋艦名取が6月18日15時から6月19日5時15分まで同行した期間を除いて、速吸が事実上の第一補給部隊指揮艦として行動する事となった。6月19日、小沢機動部隊の航空攻撃は大失敗に終わり主力空母2隻(大鳳、翔鶴)も米潜水艦の雷撃で撃沈された。大鳳から脱出した後の小沢長官以下機動部隊司令部は、駆逐艦若月を経由して重巡洋艦羽黒に移乗した。6月20日午前7時、機動部隊各隊は燃料補給のため速吸以下補給部隊と合同し、昼前には各艦に補給を開始する。同時刻、小沢司令部も羽黒から空母瑞鶴に移乗した。この時、重巡洋艦熊野(機動部隊前衛所属)は補給部隊の配置について疑問を呈している。13時頃、アメリカ軍機動部隊発見の報告があり、前衛・本隊・補給部隊の順番で西方退避が始まった。同日夕刻、退却を続ける補給部隊(油槽船《速吸、日栄丸、国洋丸、清洋丸、玄洋丸、あづさ丸》、護衛艦《響、初霜、夕凪、栂、雪風、卯月》)はアメリカ第58任務部隊(マーク・ミッチャー中将)の艦載機約40機の空襲を受ける。速吸は艦橋直後に被弾して火災が発生し、搭載の航空機も炎上して死傷者13名を出した。速吸は『戦闘航海ニ支障ナシ』を報告し、士気の高さを示したという。本海戦では速吸の他に清洋丸と玄洋丸が炎上し、清洋丸は駆逐艦雪風に、玄洋丸は駆逐艦「卯月」に、それぞれ処分された。他に機動部隊乙部隊から空母「飛鷹」が沈没、複数隻(瑞鶴、隼鷹、榛名、摩耶等)が損傷した。補給部隊は6月23日にバコロドに帰投した。26日10時、速吸は補給部隊から分離。3隻(速吸、響、夕凪)は座礁した雪風を救助した、その後、速吸はマニラに回航された。7月10日、速吸は特設運送艦旭東丸(飯野海運、10,051トン)とともに駆逐艦3隻(夕凪、響、藤波)に護衛されてマニラを出港し、サンベルナルジノ海峡および紀淡海峡経由で7月17日に呉に帰投し、呉海軍工廠で損傷修理が行われた。8月1日付で連合艦隊付属に復帰し、修理完了後は旭東丸、特設運送船(給油)あづさ丸(石原汽船、10,022トン)、「夕凪」とともに「速吸船団」を構成して、ヒ71船団に加わって石油輸送のため南方に向かうよう命じられる。指揮官は第六護衛船団司令官梶岡定道少将。ヒ71船団はフィリピン防衛に加勢する第二十六師団(山県栗花生中将)を乗せた輸送船や、南方へ石油を積み込みにいくタンカー、給糧艦伊良湖など計20隻で構成され、空母大鷹や護衛艦部隊(駆逐艦2隻《夕凪、藤波》、海防艦《平戸、倉橋、御蔵、昭南、第11号》)などが同行する。8月8日、門司出港。8月10日朝、ヒ71船団は伊万里湾を出航する。しかし、出航後から悪天候に悩まされ8月15日に馬公に入港して天候の回復を待つ事とした。加入船の顔ぶれを少し改め、新たに第三掃討小隊(佐渡、松輪、日振、択捉)と駆逐艦朝風を加えて8月17日朝に出港した。8月18日昼間には最も危険とみなされたバシー海峡を通過、同日夜ルソン島沿岸に接近して航行する。だが、油槽船永洋丸が米潜水艦ラッシャー ("USS Rasher, SS-269")の雷撃で大破、落伍した。永洋丸は夕凪と共に高雄市(台湾)へ退避した。日中の襲撃はなかったが、ラオアグ近海に到達した22時20-30分頃、大鷹に米潜水艦ラッシャーが発射した魚雷2本が命中、大鷹は大爆発を起こしてあっけなく沈没した。大鷹の沈没と再び襲ってきた悪天候で船団は大混乱に陥り、輸送船およびタンカーは単独かつ全速力をもって各々避退行動に移ることとなった。日付が8月19日に変わると、状況もますますひどくなっていった。2時25分(日本側記録3時20分)、米潜水艦ブルーフィッシュ ("USS Bluefish, SS-222") がのビガン沖で図南丸クラスと思しきとても大きな目標、すなわち速吸と二番目の目標であるタンカーを観測し速吸に対して魚雷を4本発射した。そのうちの2本が命中し、二番目に観測した目標への攻撃に傾注した後、7時18分頃にの地点で航行を停止した速吸に対して魚雷を3本発射、すべて命中してこれが止めとなった。この際、ブルーフィッシュは沈み行く速吸の写真を潜望鏡越しに撮影したが、これが現在までのところ、速吸唯一の写真となっている。ヒ71船団は潜水艦3隻(ラッシャー、ブルーフィッシュ、スペードフィッシュ)の襲撃によりマニラ到着までに合計5隻(大鷹、速吸、玉津丸、帝洋丸、帝亜丸)を喪失、護衛部隊も3隻(佐渡、松輪、日振)を喪失、便乗将兵推定7000名が戦死し、救助された3000名も兵器装備品を喪失して戦闘力を失ってしまった。10月10日、速吸は運送艦、帝国特務艦籍から除籍された。
出典:wikipedia
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