サンフィッシュ (USS Sunfish, SS-281) は、アメリカ海軍の潜水艦。ガトー級潜水艦の一隻。艦名はマンボウに因む。一方、北米の淡水にはオオクチバスやブルーギルが属するサンフィッシュ科という淡水魚が生息し、パッチやペナントには淡水魚のサンフィッシュが描かれるという混同が生じている。サンフィッシュは1941年9月25日にカリフォルニア州ヴァレーホのメア・アイランド海軍造船所で起工する。1942年5月2日にJ・W・ファウラー夫人によって進水し、艦長リチャード・W・ピーターソン少佐(アナポリス1931年組)の指揮下1942年7月15日に就役する。就役後はで整調を行い、サンフランシスコに帰還すると整調後の信頼性試験を行う。10月26日にサンフィッシュは太平洋へ向けて出航し、11月1日に真珠湾に到着した。11月23日、サンフィッシュは最初の哨戒で日本近海に向かった。北海道と本州の沖合で哨戒した後南下し、12月12日にはの地点で「衣笠型重巡洋艦」に対して魚雷を2本発射したが、命中しなかった。12月16日から17日の夜にかけて伊勢湾口に機雷を敷設し、翌12月18日にはの大王崎近海で輸送船共和丸を発見し、魚雷を3本発射したが命中しなかった。1943年1月14日、サンフィッシュは53日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。2月4日、サンフィッシュは2回目の哨戒で東シナ海に向かった。3月7日夜、サンフィッシュはの地点で貨客船丹後丸(日本郵船、6,893トン)に対して浮上攻撃により魚雷を計7本発射し、合計3本の魚雷が命中した音が聞こえ、サンフィッシュは爆発を確認した。しかし、丹後丸は魚雷を回避しており、反撃して退避していった。サンフィッシュは、その後の2日間対潜攻撃を受け、海中でじっとしてる他はなかったが、幸いにも重大な損害からは逃れることができた。3月9日夕刻には、の地点で高雄に向かっていた海軍徴傭船浅間丸(日本郵船、16,947トン)を発見し、魚雷を4本発射して3つの爆発を確認した。ところが、この攻撃もまた魚雷は命中しておらず、攻撃後は護衛の駆逐艦峯風の制圧を受けた。3月13日夜23時過ぎ、サンフィッシュはの種子島近海で輸送船興生丸(岡田商船、3,262トン)を発見し、魚雷を3本発射。1本が命中し、興生丸は被害甚大のため宝島に座礁して果てた。4月3日、サンフィッシュは58日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。5月4日、サンフィッシュは3回目の哨戒でトラック諸島、カロリン諸島方面に向かった。しかし、この哨戒では目ぼしい日本船には遭遇せず、5月23日にアンガウル島の偵察を実施し、5月28日にはヤップ島の東500海里にあるファイス島の精製所に対して3インチ砲による艦砲射撃を実施した。6月24日、サンフィッシュは57日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。7月28日、サンフィッシュは4回目の哨戒で東シナ海、台湾方面に向かった。8月13日、サンフィッシュはの地点で2隻から3隻の大きな目標を発見し、魚雷を6本と4本の計10本発射。魚雷は二度目に発射した4本の魚雷のうち3本が特設砲艦江戸丸(広南汽船、1,299トン)に命中し、高さ60メートルはあろう炎が望見されたが、これが江戸丸の最後の姿であった。サンフィッシュでは、撃ち沈めた目標は「1万トン級輸送船」と「1万トン級タンカー」であると判断していた。8月23日未明には、の地点で10隻の輸送船団を発見し魚雷を3本発射、「黒龍丸型輸送船」の撃破を報じた。9月3日夜、スコールから抜けたサンフィッシュのレーダーが複数の目標を探知し、翌9月4日未明にいたり、の高雄南西90キロ地点で接近しつつある輸送船2隻と護衛艦1隻に対して魚雷を4本発射。魚雷は陸軍輸送船宏山丸(山本汽船、4,180トン)に2本が命中し、宏山丸はすぐに沈む気配を見せなかったので曳航されていったが、翌日沈没した。帰途途中の9月18日には、の地点で大型輸送船と2隻の「鴻型水雷艇」を発見し、魚雷を3本発射。2つの爆発音に続いて40発もの爆雷攻撃を受けたが被害はなく、5,600トン級輸送船の撃沈を報じた。9月25日、サンフィッシュは60日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投。真珠湾に回航されて改装を行った。10月16日、サンフィッシュは5回目の哨戒で東シナ海、台湾方面に向かった。しかし、哨戒は悪天候に悩まされ、12月3日にはの地点で2隻の駆逐艦を伴う2隻の空母を発見したが、攻撃までにはいたらなかった。12月14日、サンフィッシュは59日間の行動を終えて真珠湾に帰投。艦長がエドワード・E・シェルビー少佐(アナポリス1933年組)に代わった。1944年1月14日、サンフィッシュは6回目の哨戒でマリアナ諸島方面に向かった。1月21日から30日にかけてはタオンギ環礁とコスラエ島の写真偵察を実施。2月17日のトラック島空襲では、パイロット救助と脱出艦船攻撃の任務に就いた。2月23日未明、サンフィッシュは雨の中、のサイパン島西方海域で日本本土に向かって航行中の特設運送船(給炭)新夕張丸(三井船舶、5,355トン)など複数の目標を探知する。折からトラック島空襲を終えた第58任務部隊(マーク・ミッチャー少将)がマリアナ諸島にも来襲しており(マリアナ諸島空襲)、第58任務部隊機から同士討ちされないよう接近した。サンフィッシュは空母ヨークタウン ("USS Yorktown, CV-10") の艦載機が飛び回る中、最初の攻撃では「翔鶴型航空母艦」に対して魚雷を6本発射し、「3本を確実に命中させて撃沈した」とした。続いて、二度にわたって魚雷を3本ずつ発射して新夕張丸に命中させ航行不能に陥らせ、三度目の止めの魚雷を1本発射して新夕張丸を撃沈した。3月7日、サンフィッシュは53日間の行動を終えて真珠湾に帰投。サンフランシスコに回航され、ハンターズ・ポイント海軍造船所でオーバーホールに入った。6月22日、サンフィッシュは7回目の哨戒で千島列島方面に向かった。7月5日午後、サンフィッシュはの幌筵島近海で輸送船神明丸(栗林商船、2,577トン)を発見する。目標が近くを航行していたソ連船ではないことを確認したのち、魚雷を3本発射して1本を命中させた。夜に入って浮上し、さらに魚雷を3本発射し1本をもって止めとした。7月7日には、の地点で、少なくとも14隻のトロール船とサンパンの船団を発見し、浮上砲戦でことごとく破壊しつくした。7月9日朝にはの阿頼度島近海で2隻の「吹雪型駆逐艦」を配したキ504船団を発見し、大型輸送船と中型輸送船に対して魚雷を3本ずつ発射。魚雷は陸軍輸送船太平丸(太洋海運、6,284トン)に命中してこれを撃沈した。8月1日、サンフィッシュは40日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。8月20日、サンフィッシュは8回目の哨戒で東シナ海方面に向かった。8月31日未明、サンフィッシュはの地点で3隻の中型上陸艦艇を発見し、魚雷を1本だけ発射したが、命中した様子はなかった。9月10日昼ごろには、の巨文島南方19海里地点でミ19船団を発見。2隻の輸送船に対して魚雷を3本と2本の計5本発射し、魚雷はタンカー千早丸(日本郵船、4,710トン)に3本が命中、千早丸は船首の一部を海上に露出した状態で沈没した。9月12日夜、サンフィッシュはの地点で節船団を発見し、日付が9月13日になった直後に魚雷を5本発射したが、命中しなかった。節船団を追跡したまま13日夜に入り、の小黒山島北西55キロ地点で再び魚雷を4本と3本、2本の計9本発射。魚雷は輸送船江田島丸(日本郵船、6,933トン)に2本が命中して船体を分断させ、江田島丸の前半部は沈没していったが、後半部は長江河口まで流れ着き、30日になってようやく沈没した。3時間後に三度目の攻撃で魚雷を4本発射したが、この攻撃に効果はなかった。9月19日、サンフィッシュはの地点で2隻の大型哨戒艇を発見し、浮上砲戦を行った。9月27日、サンフィッシュは38日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。10月23日、サンフィッシュは9回目の哨戒でピート ("USS Peto, SS-265") 、スペードフィッシュ ("USS Spadefish, SS-411") とウルフパックを構成し黄海方面に向かった。11月17日午後、サンフィッシュはの済州島西方150キロの地点でミ27船団を発見する。ミ27船団の進む航路はすでにヒ81船団が先行しており、ヒ81船団はスペードフィッシュと、別のウルフパックのクイーンフィッシュ ("USS Queenfish, SS-393") およびピクーダ ("USS Picuda, SS-382") からの攻撃にさらされていた。ゆえに、ヒ81船団攻撃で接近した潜水艦の一部は、後続のミ27船団にも食いつく結果となった。夕暮れ時になって、先頭と二番目の輸送船に対して魚雷を3本ずつ発射したが、何ら変化が見られず逆に23発の爆雷攻撃に見舞われ、いったんミ27船団を見失ってしまった。浮上して約4時間後にミ27船団に追いつき、の地点での二度目の攻撃で再び先頭の輸送船と二番船に対して魚雷を3本ずつ発射、魚雷は2本から3本が目標に命中したとみられた。日付が11月18日なってから三度目の攻撃で20ミリ機銃を撃ちつつ、小型輸送船に対して魚雷を3本発射したが、この攻撃は成功しなかった。3時間後、サンフィッシュは四度目の攻撃を仕掛け、魚雷を3本発射。魚雷は1本目と3本目が目標に命中したのが確認された。ミ27船団に対する一連の攻撃で、サンフィッシュは2隻の輸送船、盛祥丸(東和汽船、5,463トン)と江戸川丸(日本郵船、6,968トン)の撃沈が認定された。日本側記録では、二番目と四番目の攻撃で盛祥丸が沈没し、同じく二番目の攻撃で江戸川丸が被雷したと記す。また、ミ27船団には空母はいなかったが、サンフィッシュは船団中に「大鷹型航空母艦のような艦船」を発見し、そのスケッチを残している。11月30日午後には、の地点で2つの目標を発見し、魚雷を5本発射。魚雷は貨客船大連丸(大連汽船、3,748トン)に1本が命中してこれを撃沈した。12月19日、サンフィッシュは56日間の行動を終えてマジュロに帰投した。1945年1月15日、サンフィッシュは10回目の哨戒で東シナ海、黄海方面に向かった。しかし、2月20日にの地点で1,000トン級輸送船を発見して潜望鏡を操作していたところ、浮氷に接触して2本とも損傷したため哨戒を打ち切った。2月27日、サンフィッシュは37日間の行動を終えてグアムアプラ港に帰投。艦長がジョン・W・リード少佐(アナポリス1938年組)に代わった。3月31日、サンフィッシュは11回目の哨戒で日本近海に向かった。大湊に出入りする艦船の動向を監視していたが、4月9日に艦体にダメージを受ける。この日、サンフィッシュはの地点で近在の僚艦パーチー ("USS Parche, SS-384") とともに艦船に接敵していたが、パーチーが第3号掃海艇を撃沈したのに続いてサンフィッシュは6,000トンから8,000トン級輸送船に対して魚雷を4本発射し、1本を目標に命中させたが、反撃を受けて備砲を損傷した。ダメージは大したことはなく、応急修理でしのいだ。4月14日にはの地点で2,000トン級輸送船を発見し、魚雷3本を発射したが命中しなかった。4月16日、サンフィッシュはの岩手県とどヶ崎沖で小輸送船団を発見し、魚雷を6本発射。この攻撃で第73号海防艦と輸送船萬龍丸(拿捕船、元オランダ船バルウック、1,623トン)を撃沈した。3日後の4月19日未明には、の厚賀沖で、千島列島から北海道に移動する陸軍部隊を輸送中の特設砲艦快鳳丸(農林省、1,093トン。元特務艦剣崎)と輸送船大誠丸(大阪商船、1,948トン)の2隻を発見し、魚雷を6本と4本の計10本発射して両船に命中させた。三度目の攻撃で、止めに魚雷を1本だけ発射したものの、目標が停止していたにもかかわらず命中しなかった。しかし、目標は2隻とも沈没した。4月28日、サンフィッシュは29日間の行動を終えて真珠湾に帰投。2日後にメア・アイランド海軍造船所に向けて回航された。その後、同造船所で5月7日から7月31日までの間オーバーホールを受け、8月9日に真珠湾へ再び戻る。8月15日の終戦時、サンフィッシュは新たな哨戒の準備中であった。8月29日に真珠湾を出航したサンフィッシュは西海岸に向かい、9月5日にメア・アイランド海軍造船所に到着、不活性化が行われ1945年12月26日に予備役となる。その後も訓練用などに使用されることもなく予備役艦として保管され、1960年5月1日に除籍された。サンフィッシュは第二次世界大戦の戦功で9個の従軍星章を受章した。
出典:wikipedia
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