薫空挺隊とは、レイテ島の戦いにおいて、1944年11月26日にフィリピンレイテ島のアメリカ軍占領下の飛行場への強行着陸と破壊を目標とした義号作戦に用いられた大日本帝国陸軍の空挺部隊である。薫空挺隊は台湾軍遊撃第1中隊の一部で、本来はジャングルでの遊撃戦専門の特殊部隊であった。台湾の高砂族出身者、いわゆる高砂義勇兵がかなりの割合を占めていた。第1、第2中隊に分かれた総員192名中には兵が152名いたが、これらの兵のうち通信、衛生の特技者を除いては高砂族出身者で構成されていた。当時の在フィリピン日本大使の日記によれば、爆弾を抱えて敵中に突入する訓練も行なっていた部隊とされる。1944年10月にレイテ作戦が始まると、日本軍は増援部隊や補給物資を載せた輸送船をレイテ島に送ろうとしたが、アメリカ軍が築いた飛行場から発進する軍用機に次々と沈められてしまっていた。そこで、この航空兵力を一時的にでも封殺すべく、レイテ島にあった5つの飛行場のうちブラウエン北、南の2つの基地に対して強行着陸攻撃を行なうこととなり、遊撃第1中隊の投入が決まった。第4航空軍飛行第208戦隊の零式輸送機4機に中重夫中尉以下40数名が搭乗して、1944年11月26日夜間に決行された。日本側記録では、4機のうち1機は日本軍勢力下のバレンシア飛行場に着陸し、搭乗員は第26師団とともに行動したということのみが確認されている。残りの3機のうち2機については、アメリカ軍戦史によればドラッグ海岸付近に着陸し、乗組員はいずこへともなく消えていったという。残る1機は完全に消息不明である。薫空挺隊の生き残りがいるのかどうかも明らかになっていない。この作戦が成功したのか、失敗したのか、はたまた敢行すら出来なかったのかさえ不明である。アメリカ軍戦史の記述を信用すれば、戦いすら起きなかった可能性が高い。この戦いで戦死したと認定された高砂族の兵士は靖国神社に合祀されている。なお、この作戦に続いて10日後の12月6日には、高千穂空挺部隊(挺進第3・第4連隊)によるレイテ島5基地への一斉強行降下作戦であるテ号作戦が行われている。こちらも、ブラウエン飛行場に降下した100人以上が第16師団に合流したことまでは判明しているが、第16師団も後に壊滅しており、合流者の最後は明らかでない。
出典:wikipedia
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