『君の名は』(きみのなは)は、日本の昭和期に放送されたラジオドラマである。映画化、テレビドラマ化、舞台化もされている。脚本家・菊田一夫の代表作。1952年にラジオドラマで放送され、多大な人気を獲得した。ただし最初の半年間は、菊田が「人々の戦争体験を主題に」シリアスタッチで描いていたため、あまり人気はなかった。真知子と春樹との恋愛にドラマが集中し始めて、はじめて人気番組となった。「番組が始まる時間になると、銭湯の女湯から人が消える」といわれるほどであったという(ただし、この銭湯でのエピソードは、「アメリカでの事実を基にして、松竹の宣伝部が作った虚構である」という説も根強い)。ラジオドラマの人気を受けて松竹で映画化されると、大ヒットを記録した。氏家真知子のストールの巻き方が「真知子巻き」と呼ばれて女性の間で流行した。これは、主演の岸惠子が北海道での撮影の合間に、現地のあまりの寒さに神奈川県横浜市中区の馬車道界隈の店で購入して持参していた私物のストールを肩からぐるりと一周させて耳や頭をくるんでいたことによるとされる。この姿はカメラが回っている時にも使われることになり、「真知子巻き」が誕生した。真知子と春樹が出会い、再会した数寄屋橋のシーンでしていたというのは間違いである。ただし第一部の冒頭、佐渡で渡る船上でも真知子は「真知子巻き」に類したストールの巻き方をしている。真知子と春樹が再会しそうになる(半年ごとの数寄屋橋での待ち合わせなど)が、不都合が起きてなかなか会うことができない。この「会えそうで会えない」という事態が何度も繰り返された。これは後の恋愛ドラマでもよく見られる描写(演出)であり、本作はこのパターンの典型にして古典となっている。第二次大戦、東京大空襲の夜。焼夷弾が降り注ぐ中、たまたま一緒になった見知らぬ男女、氏家真知子と後宮春樹は助け合って戦火の中を逃げ惑ううちに、命からがら銀座の数寄屋橋までたどり着く。一夜が明けて、二人はここでようやくお互いの無事を確認する。お互いに生きていたら、半年後の11月24日、それがだめならまた半年後に、この橋で会おうと約束し、お互いの名も知らぬまま別れた。やがて、2人は戦後の渦に巻き込まれ、お互いに数寄屋橋で相手を待つも再会が叶わず、1年半後の3度目にやっと会えた時は真知子は、既に明日嫁に行くという身であった。しかし、夫との生活に悩む真知子、そんな彼女を気にかける春樹、2人をめぐるさまざまな人々の間で、運命はさらなる展開を迎えていく。放送期間は、昭和27年(1952)4月10日-29年(1954)4月8日。毎週木曜8時から9時までの30分放送。番組の冒頭で「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」という来宮良子のナレーションが流れる。当時のラジオドラマは生放送だったため、劇中のBGMは音楽の古関裕而がハモンドオルガンを毎回即興で演奏していた。映画とレコードは織井茂子によって吹き込まれている。全3部。大ヒットし、通し上映では6時間を超えることから総集編も製作された。3部作の総観客動員数は約3,000万人(1作平均1,000万人)である。1953年9月15日に公開された。2億5047万円の配給収入をあげ、1953年度の配給収入ランキング第2位である(1位は同名第二部)。冒頭のタイトル表記には「第一部」の字はなく、最後には「君の名は 㐧一篇 終」と表示される。1953年12月1日に公開された。3億2万円の配給収入をあげ、1953年度の配給収入ランキング第1位である。1993年製作の台湾映画『多桑』で主人公が映画を見る描写で本作の冒頭部分が使用されている。1954年4月27日に公開された。3億3015万円の配給収入をあげ、1954年度の配給収入ランキング第1位である。松竹は1954年度のゴールデンウィークに本作で勝負をかけたが、ライバルの東宝は『七人の侍』(4月26日公開)を公開している。「君の名は」に関する歌の作詞・作曲は、すべて菊田一夫・古関裕而のコンビによる。宝塚歌劇団によって舞台化された作品の一覧を参照。2012年現在、テレビでは4度ドラマ化されている。1962年10月2日から1963年10月13日まで、フジテレビ系列で放映。放送時間は火曜21:00 - 21:30だったが、1963年4月14日以降は日曜20:30 - 21:00に変更された。1966年5月23日から1967年1月28日まで、日本テレビ系列の毎週月曜 - 土曜の13:00 - 13:15の時間枠で放映。全216回。1976年10月1日から12月24日まで、NETテレビ(現・テレビ朝日)系列の毎週金曜21時枠で放映。全13回。1991年4月1日から1992年4月4日まで、NHK連続テレビ小説30周年記念作品(第46作)として放送された(連続テレビ小説では、1983年度の『おしん』以来の1年間放送)。年々視聴率が下降を続けていた連続テレビ小説のテコ入れとして、1975年以前の原点に戻り放送期間を1年間とした。千葉県野田市に1億円をかけ数寄屋橋のオープンセットを造るなど、異例の予算が組まれた。原作は一世を風靡した作品でありそのため前評判は大変高く、視聴率が50%を超えるのではないかともいわれていた。しかし、最高視聴率34.6%、期間平均視聴率29.1%(1991年 - 1992年の記録。関東地区、ビデオリサーチ調べ) とも、本ドラマ終了時点での当時の歴代最低を記録した。なお、第五部の舞台は、長崎県島原市の予定だったが、雲仙普賢岳の噴火により中止となり、舞台は、静岡県西伊豆に変更された。NHK放送開始80周年記念特別番組『もっと身近に もっと世界へ NHK80』(2005年3月19日から22日)の一環として、「復刻ラジオドラマ」として放送された。放送日時は19日 - 21日の連日21:05ごろ - 21:55 (JST)。NHKのライブラリーに保管されている音源や台本を参考にしている。出演は田中美里、萩原聖人他。ナレーションは、映画版で主人公の氏家真知子を演じた岸恵子が担当した。NHK総合テレビでは、「君の名は&冬のソナタ 今夜純愛をあなたに…」の特集を組み、その中でラジオドラマの収録風景を放送している。放送日は3月20日 (JST)。司会は小野文惠アナウンサーだった。1964年(昭和39年)、東京オリンピックを控えての開発ラッシュの際、皇居外堀を埋めて東京高速道路が作られることになり、数寄屋橋も撤去された。今は数寄屋橋交差点傍にある数寄屋橋公園に、原作者の菊田一夫の筆による「数寄屋橋 此処に ありき」との小さな石碑が残されている。
出典:wikipedia
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