『TATSURO YAMASHITA FROM NIAGARA』(タツロウ・ヤマシタ・フロム・ナイアガラ)は、1980年7月10日に発売された山下達郎通算2作目のコンピレーション・アルバム。アルバム『LET'S ONDO AGAIN』を最後に、ナイアガラ・レーベルと日本コロムビアとの契約は終了していたが、日本コロムビアにナイアガラの権利がまだ残っていたため、「」のヒットと時をほぼ同じくしてリリースされた、レコード会社主導による編集盤。『SONGS』と『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』の2枚から山下の作品および歌唱曲に加え、「幸せにさよなら」のシングル・バージョンも収録。2009年、大瀧詠一が30周年盤『NIAGARA CALENDAR』の序文で書いたとおり、これまでナイアガラ・レーベルの非公認カタログだった『TATSURO YAMASHITA FROM NIAGARA』がアルバム・タイトルを『TATSURO FROM NIAGARA』と改め、中山泰デザインによる新たな装丁で公式リリースされた。コロムビア盤について、大瀧は一切聴いていなかったという。「どんな曲順だったか興味もなかったし。でも、なんか適当な曲順だなとは思ってたけどね」と答えている。リリースについても「あれはね、当時のコロムビアのディレクターがやったものだからさ。12枚目の契約だったんだからさ。12枚目の契約をあえてナイアガラに替わってやってくれたわけだから。契約不履行で訴えられなかったのはこれのおかげで。ありがたかったけど、今にして思えばね。それでやっとここへきてほぼ30周年ということで。'80年に出てるからね。30周年目のところで、コロムビアとの契約がようやくコンプリートになると。ようやく契約を完全履行というかね」と考えているという。公認盤リリースについては「シュガー・ベイブで始まって、山下達郎の『TATSURO YAMASHITA FROM NIAGARA』で終わってるのがナイアガラのエレック ⁄ コロムビア時代。ご存知の通り、大瀧個人のレーベルじゃなくて、いろんな人でやっていこうっていうことだったんだけど、一人減り二人減りしてしまって、ばんやむを得ずああいう形になったっていうことですね。理想はもっとたくさんのアーティストがいる予定だったんだけど。そういう意味では山下君が最初と最後を飾ってくれて。大瀧の個人レーベルというか、それだけではないということを印象付けてもらうためにも。でもこれをオフィシャルな形でやるとは思わなかったけど、山下君がやったらどうって言ってくれたんで、それならって。継子扱いするのも気の毒だから。もともと12枚目だったんだから、ここで締まったからありがたかったですよ」という。ナイアガラに残された山下関連の音源はコロムビア盤収録曲ですべてなのでオフィシャル盤でも曲目自体は変らないものの、曲順は大瀧の意向で大きく変更された。10曲入りで考えたとし、コロムビア盤同様「DOWN TOWN」をA面1曲目にした事については「イントロが出てきただけで、もう背中がゾクゾクする感じがあるね。だから今回も
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。