ビッグ・タイトン(Big Tyton)のリングネームで知られるリック・ボグナー("Rick Bognar"、1970年1月16日 - )は、カナダのプロレスラー。ブリティッシュコロンビア州バンクーバー出身。1989年11月、プロレスラーデビューを果たす。リック・タイタン("Rick Titan")、メガマスク("Mega Mask")などのリングネームでWFWA(West Four Wrestling Alliance)やCNWA(Canadian National Wrestling Alliance)といったカナダの団体に参戦。1991年7月、初来日を果たしてFMWに参戦。ビッグ・タイトン(Big Tyton)のリングネームでザ・グラジエーターと組んで常連外国人の仲間入りとなり、1992年1月15日、FMW世界ブラスナックル王座を保持する大仁田厚に挑戦して勝利し、ベルトを奪取した。1993年4月、大仁田を裏切りヒールへと転向したリッキー・フジとチーム・カナダ("Team Canada")を結成してストーリーラインでも活躍。1994年1月18日、ザ・グラジエーターと組んで空位となったFMW世界ブラスナックルタッグ王座を大仁田 & 新山勝利と争い勝利して王座を戴冠した。1995年7月、オットー・ワンツがドイツを拠点とするCWA(Catch Wrestling Association)に参戦し、1996年1月より再び来日してWARに参戦。6月には邪道 & 外道をオマージュしてリングネームをタイ道("Ti Do")へと変更してライオン道と組んで活動した。1996年9月、WWFと契約を交わし入団。初代レイザー・ラモンことスコット・ホールがWCWに移籍した為に二代目レイザー・ラモン("Razor Ramon")を襲名。二代目ディーゼルと組んで活動するが勝利に恵まれず、12月15日のでWWFタッグ王座を保持するオーエン・ハート & ブリティッシュ・ブルドッグに挑戦するもベルトを奪取するに至らなかった。1997年1月19日、Royal Rumble 1997のロイヤルランブルマッチでは3番目に登場するもアーメッド・ジョンソンから簡単に落とされてしまった。2月20日の出場を最後にWWFから解雇となった。WWF解雇後、メキシコのメジャー団体であるAAAにディーゼルと共にスポット参戦。1998年1月、新日本プロレスにビッグ・タイトンとして参戦。nWoジャパン内のユニットであるアリストトリストの大物外国人として紹介され、nWoスティングや マイケル・ウォールストリートと外国人レスラー同士で組んで活動。6月にはウォールストリートと組んでIWGPタッグ王座争奪トーナメント、8月にはG1クライマックスに出場するがいずれも一回戦で敗退。技術、試合の構築力に乏しかった為に新たなリーダーとなった武藤敬司により実力を疑問視され、10月10日の橋本真也 & 中西学との対戦で中西により攻撃されているところを見殺しにされてしまう一幕があり、nWoジャパンの間に亀裂を生む一因を作るきっかけとなった。1999年11月、カナダへと帰国してハート・ファミリーが主宰するスタンピード・レスリングに参戦し、プロレスラーとしてキャリアに終止符を打った。プロレスラー引退後はカルガリーにてトレーナーとして活動している。
出典:wikipedia
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