武田 博(たけだ ひろし、1945年8月22日 - )は日本中央競馬会 (JRA) ・栗東トレーニングセンターに所属していた元調教師・元騎手。名伯楽として知られた武田文吾調教師の長男として生まれた。出生地が宮崎県なのは、武田の家族の疎開先だったためである。父文吾は、博を厳しくしつけた。叱るときには、博に競馬用の鞭を持って来させて、それで叩くこともあったという。また小学校に入学したころには、毎日「調教日誌」を書かせるなど、早くから競馬社会に触れさせていた。失敗したり手を抜くと直ぐに見破られて叱りつけられるので、親子の関係と言うよりも師弟関係で、博はそれが嫌でたまらなかったという。しかし、中学校に入学した日に「調教師の仕事は馬をスタートラインにつけるまでで、あとは騎手任せだ。俺はお前(博)をスタートラインにつけたので、あとは自分で考えて行け。」と言われてからは、逆に何も言われなくなった。やがて文吾に弟子入りして騎手見習となり、1964年には騎手免許を取得して晴れて騎手になったが、文吾は障害競走へ多く騎乗させた。競馬記者が「なぜ息子を危険な障害に乗せるのか?」と聞いたところ、「自分の息子をネコかわいがりして、どうして他人から預かった大切な子供を預かれるか。」と答えたと言う。武田文吾厩舎には有力馬が数多く在籍しており、減量騎手の恩恵もあってシンザンやキーストンといった名馬にもオープン戦などで騎乗し、勝利を挙げている。1976年に調教師免許を取得して1978年に厩舎を開業。なかなか重賞競走を勝てなかったが、1993年に初めて重賞制覇。その後もコンスタントに勝ち鞍を挙げ続けた。1990年代後半あたりからは、重賞を2勝したメイショウナルトを筆頭にメイショウの冠名を持つ松本好雄所有の馬を多く管理していた。2016年2月29日をもって定年のため調教師を引退。JRA通算6665戦492勝(うち重賞6勝)、ほか交流重賞2勝。引退時の管理馬は渡辺薫彦厩舎、本田優厩舎などに引き継がれた。※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
出典:wikipedia
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