阿部 慎之助(あべ しんのすけ、1979年3月20日 - )は、千葉県浦安市出身の読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(捕手、(2015年のみ内野手登録))。NPB史上3位の年俸6億円受給者(2014年)。読売ジャイアンツ第18代主将(2007年から2014年まで)。2012年セ・リーグMVP。2012年首位打者、打点王、最高出塁率 。名前の由来は母親が池畑慎之介(ピーター)の大ファンだったことから。父は実業団電電東京に所属した野球選手阿部東司で、掛布雅之と習志野市立習志野高等学校で同期。掛布とクリーンナップを組み、掛布が3番・父が4番を打ち、全国高等学校野球選手権大会に出場経験がある。その影響もあり、幼い頃から阪神タイガースファンで掛布に憧れ左打ちになった。また父もポジションは捕手、中央大学と共通している。父の勧めもあり、浦安市野球協会学童部所属・軟式少年野球チーム・浦小クラブに所属。その縁で浦安市野球協会で阿部慎之助杯争奪少年野球大会を協賛している。安田学園高校では通算38本塁打を放つ。中央大学商学部に進学し3年生春まで東都大学野球連盟2部リーグでプレーする。2部リーグ通算51試合出場、186打数58安打、打率.312、12本塁打、41打点。3年生秋にチームは1部昇格。1部リーグ通算28試合出場、92打数27安打、打率.293、5本塁打、19打点。ベストナイン1回。9月にはシドニーオリンピック代表に選ばれた。中大時代は打撃には定評があり、野手転向を勧められることもあったが固辞した。2000年11月のドラフト会議において、ドラフト1位(逆指名)で読売ジャイアンツに入団。契約金の最高標準額(1億円プラス出来高払い5千万円)を超える10億円契約を結んでいたことが、複数の関係者証言で明らかになった。強打の捕手として知られ、基準違反統一球が導入されていた2011年から2012年において両リーグ最高打率となる.318、同OPS.935を誇った。スイングを始めてから腰を捕手方向に捻るツイスト打法により緩急に対応し、内角の球も切れずにスタンドに運ぶ技術を持つ。左打者ながら左投手も苦にせず、2006年から2010年まで左投手に対して打率.283を記録し、統一球導入後の通算でも打率.327を記録している。ツイスト打法は内田順三に勧められて2004年から取り入れ、普段の練習やティーバッティングなどで腰の開きを我慢しながら反復して練習しているという。下半身の強靭さが必要なツイスト打法を使いこなす一方で、一塁到達4秒台後半の鈍足である。スローイング面では2010年には両リーグトップの進塁阻止率を記録。アマチュア時代から強肩に定評があり、スローイングの制球も安定している。試合後のアイシングやオフの鍼治療などで肩のケアには気を配っているが、肩の消耗のため「大学時代が一番スローイングは良かったかな?」と思うこともあるという。リード面では「直感型とデータ型に分類するのではなく、両方が必要だと思っている。リードに関しては正解がないから、臨機応変に対応できることが一番」と話している。キャプテンシーが高く評価されており、チームメイトからは「ミットを構えた時の安心感があるし、声をかけてくれるタイミングも抜群」との信頼を得ている。2007年から2014年までチームの主将を務めたことで緊張感のないプレーや不甲斐ない姿を晒す選手に対しては厳しい言葉を発することもあった。2011年、シーズン終盤の10月6日の横浜ベイスターズ戦に先発した東野峻が7回2安打2失点の投球を見せたが、5四球出したことで「この成績で満足するなら野球やめたほうがいいんじゃないか」と苦言を呈した。2012年の日本ハムとの日本シリーズ第2戦では先発の澤村拓一が初回にピンチを招いたが、この際牽制のサインを見逃したことで澤村の頭を叩いた。これで澤村は目が覚めて8回無失点で日本シリーズ初登板初先発初勝利となった。 2013年の春季キャンプでは、この年8年目を迎えた辻内崇伸に対して、立ち投げでの調整だけで済ませたことに対して「調整してる立場じゃねーだろ」と一喝した。辻内は原辰徳監督からも「円熟期なんだから」と翌日注意された。しかし、辻内はこの年も1軍に上がることはできず、この年限りで戦力外通告を受けて引退した。総合評価指標WARにおいて、2012年、2013年にはそれぞれ9.7、8.4といずれも両リーグNo.1の数値を記録する。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。