ハ40は、第二次世界大戦頃に川崎航空機が製造した航空機用液冷倒立V型12気筒エンジンである。三式戦闘機 飛燕に搭載された。ドイツのダイムラー・ベンツで開発されたダイムラー・ベンツ DB 601のライセンスを、陸軍の指示で1939年(昭和14年)に180万円で購入し、ライセンス生産したものである。ハ40は陸軍でのみ使用され、同様にDB 601を国産化した愛知航空機製のアツタ21型は海軍でのみ使用された。性能向上型として高圧縮比化・高回転化し、水メタノール噴射装置を付加して最大過給圧を上げたハ140がある。他にダイムラー・ベンツ DB 605の日本版であるハ240の生産計画もあったが計画倒れに終わった。変り種としてハ40を延長軸で串型に2つ結合したハ201(水冷倒立V串型24気筒 2,350 hp)が実験的につくられキ64に搭載された。川崎航空機はBMW VI型エンジンのライセンス生産などで水冷エンジンの生産経験が比較的豊富であったが、ハ40の製造では数々の困難に遭遇することになった。ハ40はDB 601をコピーする際、戦略物資の使用制限と陸軍の指示のためにクランクシャフトの材料からニッケルを外さざるを得ず、表面に微細なヒビが発生する事例があり、強度不足からよく折損事故を起こしたと言われる。これについては初代整備隊長・茂呂豊氏の「新造ハ40のクランクシャフトが、80時間ちょうどで折れたことがあり、信じられなかった」との証言もある。また工作機械の不足やその性能の問題で工作精度をオリジナルに比べて許容公差で1-2桁ほど妥協せざるを得ず、これに起因したクランクシャフトと主コンロッドを接合する軸受(ベアリング)の破損も多発した。更に戦況の悪化がこれらの不良に追い打ちをかけ、当時の日本で標準的だった空冷エンジンとは整備の勝手が違ったこともあり、前線での評判は芳しいものではなく、搭乗員らに「飛ぶと壊れる」さえ言われた。ハ140はハ40の性能向上型であるが、構造的には圧縮比をあげ、回転数を2,500rpmから2,750rpmとし1,175馬力から1,500馬力に向上させ、冷却のために過給器に対しての水メタノール噴射装置を装備しノッキング対策をしたものである。よって基本構造はほぼ同等である。しかし構造的にも材質的にも無理をして圧縮比・回転数を上げたことからハ40以上に困難が続出し、先行型が陸軍審査部に引き渡されたものの実用可能な品質で量産することはできず、このためにハ140の搭載を予定していた三式戦二型の生産が滞り、エンジンを搭載し完成したのは僅か99機。エンジン未装備の「首無し」機体がピーク時の1945年(昭和20年)1月には230機ほども工場内外に並ぶという異常事態となり、応急的にエンジンを空冷式のハ112に換装した五式戦闘機が産まれることになった。なお、ハ140は終戦時まで改良が続けられており、専用のターボチャージャーや2段のスーパーチャージャーの開発も進められていたとされるが、いずれも実用化には遠い段階であった。以上のように工作技術、材料共に問題を抱え、ドイツとの連絡が途絶えた当時の日本では、先進的な工業技術を要求されるDB601の生産は手に余るものとなった。また当時の日本製航空機用エンジン一般に言えることだが、官給品であった点火栓の不良もエンジンの性能を下げていたと報告されている。"※ ただし 碇 (2006) では、ハ140の離昇出力を1350馬力としている。" "1165369
出典:wikipedia
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