『野生の王国』(やせいのおうこく)は、1963年12月12日から1990年9月21日まで、日本の毎日放送(MBS)をはじめ国内の地上テレビ各局で放映されたドキュメンタリー番組・教養番組である。MBSと東北新社の制作(末期はMBSの完全自社制作)。全1050回放送。のちに、CSでもスカイパーフェクTV!のTBSチャンネルにて放送。世界各地の動物の生態系について映像とナレーション、専門家の解説を交えて紹介した。当初はアメリカ合衆国の動物学者、の製作・出演により、同国NBCで放映された動物番組『』(1963年~1988年)の日本語版として放送が始まり、初期はオリジナルのフィルムを使用しドキュメンタリー部分の前後に登場するパーキンスによる司会の吹き替えも声優の浦野光(のちに八木治郎)が行う形を取っていたが、次第に独自製作に移行。オリジナルや国産の映像にくわえてディスカバリーチャンネルやBBCなどヨーロッパ各局や国内各プロダクション製作による映像も盛んに紹介するようになる。中期にはナレーターの八木と上野動物園の名園長であった古賀忠道(監修者)ら動物の専門家との対談によって動物を解説し、この様式は八木の急逝後も踏襲された。最末期では毎週芸能人がリポーターを務め、1990年9月21日放送の「ヒトと動物の共生は可能なのか?」をもって26年9か月間の歴史に幕を閉じた。1975年3月まではMBSが当時ネットを組んでいたNETテレビをはじめNET系列各局で放送されていたが、同年4月以降はMBSがTBS系列にネットチェンジしたため、TBS系列各局で放送された。1968年10月24日から一時休止し、同じ住友グループ提供枠で『ランデブークイズ・ペアでハッスル』が放送された( - 1971年3月25日)。NET系列単独加盟局は当時1桁台で、大半の地域がクロスネット局または系列外局での番販放送だった。クロスネットを含むNET系列局の開局でいったん放映権を譲渡した後、MBSのネットチェンジで再び放送することになったTBS系列(JNN)加盟局も存在した。1984年3月までのMROなど2 - 3局地域の系列局の一部では正式なクロスネットではなかったものの、番組販売扱いで放送日時およびスポンサーを地元企業等に差し替えて遅れ放送(本来の放送時間に日本テレビ制作のプロ野球中継や『カックラキン大放送!!』を同時放送した局があった)。その一方で、FTVとTYSは当時FNS正式加盟局だったが金曜19時台をTBS系の番組枠としていたため、同時ネットで放送された。当時FTV・TYSのゴールデンタイムはTBSおよびフジテレビの番組を曜日または時間別に同時スポンサードネットしており、FNS系列局の金曜19時台は前半がローカルセールス枠だったためTBS系の番組を編成するのが容易だったという事情もある。なお、FTVはJNN脱退・FNN加盟後も1983年9月までは放送(→1983年12月にTUFで再開)、逆にTYSは1987年10月にFNSを脱退した。これに先立つ1984年4月、TBSが巨人戦ナイター中継を30分延長する場合に対応しやすいよう系列局のゴールデンタイムにおける番組編成を原則として系列内番組に統一したため、2 - 3局地域ではそれまで同時ネットしていた他系列番組を打ち切り、または遅れネットへ移行、または競合局へ譲渡する措置を取り同時ネットに移行していた。○はNETテレビ系列時代に放送された局世界各地に及ぶ。オープニングではアフリカのサバンナが描かれ本編でもしばしば取り上げられた(一般の視聴者の関心は主にこの方面に集中した)が、他にもヨーロッパやアメリカ大陸なども扱われた。日本についても、北海道のヒグマの生態が扱われた事例がある。反面、BBCの製作になるイギリスの人間生活に身近な昆虫などを主なテーマにした映像を除くと海洋生物や無脊椎動物はあまり扱われなかった。海洋生物に関しては、同時期の日本テレビ系のネットで放送されていたドキュメンタリー番組の『驚異の世界・ノンフィクションアワー』にてジャック=イヴ・クストー製作の海洋生物ものの映像が目玉として頻繁に取り上げられていた。価値観としては終始自然保護・動物愛護の精神がナレーションなどで語られているが、初期には草食動物の視点に立ったナレーションが多かったが、後期には肉食動物の視点に立つようになるなど途中で価値観が変わったものも多い。終末期には動物番組における伝統的なやらせ問題を糾弾した海外フィルムを紹介したこともあり、そのときはオリジナル番組であった "Wild Kingdom" やその司会者であったパーキンスが俎上に上げられる場面までが放送された。オープニングテーマも、それまでの動物愛・家族愛を謳った物から『地上絵』では環境問題・絶滅問題が主題になっている。放送開始当初は住友グループ(『ランデブークイズ・ペアでハッスル』でもスポンサーだった)と久保田鉄工(現社名:クボタ)がスポンサーだったが(但し、前半・後半で交互にスポンサーが変わる)、腸捻転解消後も引き続きスポンサーを担当していた。1977年頃からはその住友グループの系列・NECグループ(NECはMBS設立時からの大株主でもある)の担当となり、一時期は単独提供として「NECアワー」という冠サブタイトルを付けて放送していた。1990年頃からは筆頭スポンサーであるNECが撤退し、最終回まで複数社提供で提供していた。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。