慈悲の瞑想(、、)とは上座部仏教における瞑想の一種である。上座部仏教における、サマタ瞑想に入る際の40種類ある瞑想対象(四十業処)の中に、慈・悲・喜・捨の四無量心あるいは四梵住と呼ばれるものがあるが、それを簡便化したのが現代において広く行なわれている慈悲の瞑想である。現代のヴィパッサナー瞑想においては、準備段階としてセットにして行なわれるが、仏教の精神をもっともよく表現した瞑想法としてきわめて重視されている。慈悲のこころは仏教の基本である。「生きとし生けるものが幸せでありますように」()というのが、その基本となる精神である。パーリ仏典 小部 に収められている小誦経の9番である慈悲経(パーリ語:Metta Sutta)がある。上記の「生きとし生けるものが幸せでありますように」(パーリ語: )はこの経典に出てくる 。慈しみを修習するのにおいて、毎日の生活で従うべき態度、精神的姿勢、行動等が系統だったものではない叙述で示されており、なかでも、自分の独り子を命がけで守るのと同じ態度で、一切の生類への慈しみを増大させるように説かれている。慈悲の瞑想は長部(Digha Nikāya)、中部(Majjhima Nikāya)、相応部(Saṃyutta Nikāya) 、増支部(Aṅguttara Nikāya) 等のたくさんの経典に以下のような表現ででてくる (ほんの一例をあげると、DN13 tevijjasutta, MN52 aṭṭhakanāgarasutta、AN4.125 paṭhamamettāsutta, SN46.54 mettāsahagatasutta)。以下に挙げたように、この瞑想法では、まずは自分一身に対して慈・悲・喜・捨を念じつづけ、次第にその対象をひろげていき、最終的には「生きとし生けるもの」へと思いを広げていくという方法をとる。パーリ仏典 小部 に収められている無礙解道(むげげどう)の二倶品(双運品)()のなかの慈悲論()に系統だった方法が記されている。また、ブッダゴーサ(仏音)の主著である清浄道論(しょうじょうどうろん)の「9 梵住の解釈」()にも、詳細な方法がかかれている 。(日本テーラワーダ仏教協会、上座仏教修道会等で使われている作品)※こころの中で「私は幸せでありますように」と繰り返し念じる。※こころの中で「私の親しい人々が幸せでありますように」と繰り返し念じる。 ※こころの中で「生きとし生けるものが幸せでありますように」と繰り返し念じる。 また慈悲の瞑想をすることによって得られる成果については、パーリ仏典(Pali Canon)中部(Majjhima Nikāya)の62番目の経典である大ラーフラ教誡経(Mahārāhulovādasutta)に例が示されている。この中で、釈迦は息子の羅睺羅(ラーフラ)に以下のように説いている。Mettaṃ, rāhula, bhāvanaṃ bhāvehi. Mettañhi te, rāhula, bhāvanaṃ bhāvayato yo byāpādo so pahīyissati.Karuṇaṃ, rāhula, bhāvanaṃ bhāvehi. Karuṇañhi te, rāhula, bhāvanaṃ bhāvayato yā vihesā sā pahīyissati. Muditaṃ, rāhula, bhāvanaṃ bhāvehi. Muditañhi te, rāhula, bhāvanaṃ bhāvayato yā arati sā pahīyissati. Upekkhaṃ, rāhula, bhāvanaṃ bhāvehi. Upekkhañhi te, rāhula, bhāvanaṃ bhāvayato yo paṭigho so pahīyissati.ラーフラ、慈の瞑想を深めなさい。というのも、慈の瞑想を深めれば、ラーフラ、どんな瞋恚も消えてしまうからです。ラーフラ、悲の瞑想を深めなさい。というのも、悲の瞑想を深めれば、ラーフラ、どんな残虐性も消えてしまうからです。ラーフラ、喜の瞑想を深めなさい。というのも、喜の瞑想を深めれば、ラーフラ、どんな不満も消えてしまうからです。ラーフラ、捨の瞑想を深めなさい。というのも、捨の瞑想を深めれば、ラーフラ、どんな怒りも消えてしまうからです。
出典:wikipedia
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