モシン・ナガン(, )は、ロシア帝国陸軍大佐のセルゲイ・イワノビッチ・モシンとベルギーの銃器メーカーであるエミール・ナガン、レオン・ナガンのナガン兄弟が設計したボルトアクション式小銃。1891年にロシア帝国の制式小銃M1891として採用される。弾薬はM1891と同時に開発された7.62mm×54Rを使用する。リアサイト(照門)はタンジェントサイトで、距離表尺の標示には、ロシア帝国独自の単位であるアルシンが使われていた。全長は約130cmで、世界各国の同世代の小銃と比べて最も長い。銃剣はスパイク型を使用。第二次大戦中のソ連軍では、銃剣は着剣状態で携行するため、鞘が付属しておらず、銃剣状態で射撃することが基本とされていた。照準も着剣状態に合わせて調整しているため、銃剣を外して撃つ場合、改めて調整し直さなければならなかった。歩兵用の小銃の他、騎兵用に10cmほど短くなったドラグーン・ライフル、ドラグーン・ライフルと同じ長さだが着剣できない、コサック・ライフルの3種類があった。採用直後はロシア帝国の依頼により、フランスの国営兵器工場、スイスのSIG、オーストリアのステアーなどで生産された。のちに国産化され、トゥーラ造兵廠、イジェフスク造兵廠、セストロレック兵器廠などの兵器工場で本格的に生産が開始。1900年に起きた義和団の乱で、初めて実戦投入される。1904年の日露戦争時には380万丁のライフルが納入された。第一次世界大戦でも主力小銃として使われているが、この時も生産が追い付かず、アメリカ合衆国のレミントン、ウェスティングハウスに生産を発注している。ロシア内戦などでも多数使用され、ロシア帝国からソビエト連邦移行後の1920年代まで生産され続けた。しかし、改良は行われており、1924年には、E.カバコフとI.コマリツキーが、剣留めをスプリング式リングに変更してグラつきを無くした。パンシンは照星覆いを開発し、装弾クリップも単純化し、照尺も頑丈なものに変更された。1930年4月28日には、距離表尺の標示をメートル法にし、コストダウンを施したM1891/30が採用され、生産を開始した。既存のM1891も多数がM1891/30へと改修された。M1891/30が登場後に勃発した第二次世界大戦でも主力小銃として大量に使用され、ドイツ国防軍も多数鹵獲したM1891に独自の名称を与えた。ただし、標示にアルシンが使われていたため、自軍では使用していなかったが、ドイツ本国が危うくなった1944年から国民突撃隊に交付されるようになった。第二次世界大戦終結直前の1945年に、半自動カービンのSKSがソ連軍の主力小銃として採用され、置き換えが開始された。1949年には、革新的な自動小銃であるAK-47への更新が進められ、1950年代になるとSKS共々、第一線の歩兵部隊では使用されなくなっていった。なお、第二次世界大戦後も民生用小銃としての生産は各種派生型を含めて続いている。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。