ハンター・アンドリュー・ペンス(Hunter Andrew Pence, 1983年4月13日 - )は、アメリカ合衆国・テキサス州フォートワース出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。MLB・サンフランシスコ・ジャイアンツに所属。高い運動能力を有し、独特な打撃・送球フォームと攻守両面においてダイナミックなプレーを特徴とするアスリート系選手。舌を出すのはマイケル・ジョーダンの真似。2016年、フルハウスの続編フラーハウス(シーズン1 エピソード10)に次女ステファニーの恋人で本人役として出演。子供の頃からバスケットボールをしており、高校までプロになるべくやっていたが技術不足でバスケを挫折した。野球は16歳から始めた。6月4日の2002年のMLBドラフトでミルウォーキー・ブルワーズから40巡目(全体1189位)で指名されるがこれを拒否し、契約には至らなかった。テキサス大学アーリントン校在学時のに好成績を残し、サウスランド・カンファレンスのオールスターに選出される。は更なる成長を遂げ、2年連続で同カンファレンスのオールスターに選出された他、プレーヤー・オブ・ザ・イヤーとヒッター・オブ・ザ・イヤーをダブル受賞。同年6月7日の2004年のMLBドラフトでヒューストン・アストロズから2巡目(全米64番目)で指名され、7月14日に契約成立。この年からマイナーリーグでプレーを始め(51試合出場)、8月にはアストロズ傘下トライシティ・バリーキャッツ(A-級)のディフェンシブ・プレーヤー・オブ・ザ・マンスに選ばれた。は、A級とA+級を合わせて121試合 ・ 打率.327 ・ 31本塁打 ・ 90打点 ・ 出塁率.400 ・ OPS.998の好成績を挙げ、サウス・アトランティックリーグのオールスターに出場した他、同リーグのルーキー・オブ・ザ・イヤーとNo.1プロスペクト、チーム内MVPとアストロズのマイナーリーグ・プレーヤー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。同年12月2日、アストロズのプロスペクト・リストで6位にランクされ、ベスト・ヒッター・フォー・アベレージに選定。はAA級コーパスクリスティ・フックスでプレーし、136試合 ・ 打率.283 ・ 28本塁打 ・ 95打点 ・ 出塁率.357 ・ OPS.890 ・ 17盗塁を記録。フューチャーズゲームに出場し、ベースボール・アメリカ誌のマイナーリーグ・オールスター代表チームにも選ればれた他、前年に引き続きアストロズのマイナーリーグ・プレーヤー・オブ・ザ・イヤーを受賞。翌2007年2月7日、アストロズのプロスペクト・リストで1位にランクされ、ベスト・ヒッター・フォー・アベレージとベスト・パワー・ヒッターの2部門に選定。はスプリング・トレーニングで、打率.571、2本塁打、9打点などの好成績を収め、AAA級ラウンドロック・エクスプレスを経て(25試合出場)、4月28日にメジャー初昇格を果たす。即六番中堅手としてスタメン起用され、対ミルウォーキー・ブルワーズ戦においてデイブ・ブッシュからキャリア初安打となるライト前ヒットを放つなど、3打数1安打、1死球、1得点の好結果でデビュー戦を飾った。更に、5月に入るとさらに調子を上げ、5日にはメジャー初本塁打となる満塁本塁打を、15-16日は7打席連続安打をそれぞれ放ち、プレーヤー・オブ・ザ・ウィーク(14-20日の週)とルーキー・オブ・ザ・マンス(打率.343、4本塁打、19打点、37安打、OPS.965)を受賞。7月1日から13日にかけては9試合連続安打を放つなど、その後も好調を維持し続け打率を.350前後まで上げ、一時はナショナルリーグ首位打者に踊り出た。しかし7月22日のピッツバーグ・パイレーツ戦で右手首を骨折し、1ヶ月ほど戦線を離脱。結局108試合の出場に留まり、規定打席には届かなかったものの、打率.322、17本塁打、69打点、9三塁打(リーグ4位)、マルチヒット46回(うち4安打4回)と素晴らしい成績を残した。中堅の守備でも度々ファインプレーを披露し、ナ・リーグのルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票では15ポイントを獲得、3位に食い込むなど、飛躍のシーズンとなった。は、シーズン開幕時は二番打者として起用されていたが打率1割台と低迷し、4月15日からは六・七番に下げられた。それ以降は踏ん張り、4月18日に3安打を放つと4月25日まで8試合連続安打、4月30日から5月18日にかけて16試合連続安打、5月27日にはキャリア初の1試合5安打と次第に復調。7月25日から8月5日まで11試合連続安打、8月29日から9月11日まで13試合連続安打と、10試合以上の連続安打を3度記録した。打率は前年より大きく下げたものの、怪我なくフルシーズン働いたため安打、本塁打、打点、得点等は増加した。内野安打数(40)は、イチローと並んで両リーグ最多タイ。この年からコンバートされた右翼の守備においてもわずか1失策、16補殺(リーグ1位)と好守強肩を披露した。また、アストロズとカージナルスの選手が対象のダリル・カイル賞を受賞した。はMLBオールスターゲームに監督推薦で初選出を果たし、シーズンはライトのレギュラーとして自己最高の159試合に出場。打率は前年を上回る.282という数値を残したほか、2年連続で25本塁打を放った。また、安打・盗塁・四球を増加させた反面、三振を減らすなど、多くの部門で更なる進化を見せたシーズンとなった。また、補殺数は16で、2年連続でリーグ1位であった。は、3年連続で156以上の試合に出場し、2年連続での打率.282と3年連続での25本塁打を記録。また、打点・盗塁は自己ベスト記録となったほか、規定打席に到達したシーズンとしては三振の数を最低の105に抑えるなど、2009年以上に打撃面で躍進したシーズンとなった。は監督推薦でMLBオールスターゲームに2年ぶり2度目の選出を果たした。7月にジョン・シングルトン、ジャレッド・コザート、ジョシュ・ゼイド、ドミンゴ・サンタナとのトレードでフィラデルフィア・フィリーズに移籍した。7月31日にネイト・シャーホルツ、セス・ロジン、トミー・ジョゼフとのトレードで、サンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍した。ナ・リーグの優勝決定戦第7戦では”3度打ち”をし、ナ・リーグ優勝、その後のワールドシリーズ制覇に貢献した。は9月2週目の「ナショナルリーグ・プレイヤー・オブ・ザ・ウィーク」を受賞。9月27日にはジャイアンツ所属の選手に与えられる(Willie Macも参照)を受賞。シーズン全体では、リーグ1位タイとなる162試合にフル出場。打率.283・27本塁打・99打点・22盗塁という好成績を残した。特に本塁打と盗塁は自己最高の成績であり、盗塁に関しては、前年までの通算盗塁成功率が約63%だったのに対し、2013年は単年の盗塁成功率が88%と向上させた。打点は100打点にわずかに達しなかったが、それでも4年連続での90打点以上であり、本塁打も6年連続20本塁打以上。安定感のある打力を発揮した。全162試合でライトを守ったのは史上6人目(7度目)のことであった。9月28日に5年総額9000万ドルの契約を結んだ。、ワールドシリーズでは打率.444、5打点、1本塁打などと活躍し、シリーズ制覇に大きく貢献した。シリーズMVP級の活躍であったが、MVPはエースのマディソン・バンガーナーに譲った。なお、このシリーズで打ったヒットは12本であり、歴代4位タイ(1位と1本差)の記録であった。3月5日、スプリングトレーニング中のオープン戦でシカゴ・カブスのコーリー・ブラックの投球を受け、左腕を骨折し、全治6~8週間と診断された。この時点で現役最長のレギュラーシーズン383試合連続出場を続けていたが、この骨折での故障者リスト入りにより、記録が途切れることとなった。俊足で中堅をカバー出来る広い守備範囲、右翼を務められる強肩を兼ね備え、打席内では早いカウントから積極的に仕掛けることで速球を打つ事が多い。その身体能力と将来性の高さから球団幹部に期待を寄せられると同時に、「彼のプレーを観ていると力が漲(みなぎ)って来る」とチームメイトに言わしめる颯爽としたプレーをする。また、打撃・送球のフォームの独特さがしばしば話題になる。ぎこちない動作はショイエルマン病による脊椎の変形が原因と言われている。なお、アーリントン高校在学時はバスケットボール・野球の他にアメリカンフットボールと陸上競技のプレー経験があり、テキサス大学アーリントン校では財政学を専攻。マイナー4年間の通算成績は、打率.304、出塁率.377、OPS.933。
出典:wikipedia
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