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赤丸城

赤丸城(あかまるじょう)は、富山県高岡市福岡町舞谷字上ヶ平に在った日本の城(山城)。高岡市史跡。主郭は城ヶ平山(174m)の山頂部に築かれていた。削平地は山の一帯に広がっており、城の東側に堀切、西側には県内では珍しい畝形堅堀が残っている。また山裾を西は今石動(現富山県小矢部市)、東は越中国守山城へと通ずる旧街道、『山根道』が走っていた。また城内には当時使われていた井戸が残っており、中から滑車や錘、土器等が見つかっている。築城年代は不明だが、天正年間(1573年-1591年)に五位庄を治めていた国人で越中国浅井城主中山国松の弟、次郎兵衛が拠ったとされる。尚、長禄年間(1457年-1459年)に加賀国の半国守護赤松政則が「城ヶ平」に居住したと伝わるが、越中国鴨城の事ではないかとする意見もある。因みに鴨城は赤丸城の南西約1km、浅井城は北東約600mに位置している。天正年間前半、上杉謙信に攻められている。天正9年(1581年)、中山氏が佐々成政の支配下に入る。天正12年(1584年)、この頃前田利家に対する防衛拠点の一つとして改修が施されたと思われる。虎口などにその痕跡が見られる。天正13年(1585年)、佐々成政が豊臣秀吉に降伏(富山の役)し、中山氏は赤丸城から退去。廃城年代は不明だが、この時点で赤丸城の存在意義がほぼ失われたと考えられる事から、さほど時を置かずして廃城となったと思われる。以前から赤丸城が本城とされ、付近にある浅井城はその出城であると見られていたが、近年の調査によって浅井城こそが本城であり、赤丸城はその出城であった事が判明した。周辺には県史跡である城ガ平横穴古墳が在り、これらと共に赤丸城を通る遊歩道が設置され格好のハイキングコースとなっている。案内板も建てられており、とても整備が行き届いている。

出典:wikipedia

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