佐々木 味津三(ささき みつぞう、明治29年(1896年)3月18日 - 昭和9年(1934年)2月6日)は、日本の小説家。佐佐木 味津三と表記されることもある。愛知県北設楽郡下津具村(現・設楽町)出身。本名・光三。旧制愛知一中(現:愛知県立旭丘高等学校)を中退した後、明治大学政経科を卒業。雑誌記者のかたわら小説を書き、1919年『大観』に載せた「馬を殴り殺した少年」で菊池寛に見出される。文壇に姿を現した当初は純文学を志していたものの、父親が遺した借金の為に経済的環境が厳しく、長兄を早くに亡くした事で家族を養い、また家の負債を返す必要が生じたために大衆小説に転向。当時は格下といわれていた大衆向け小説を書くことに抵抗を感じたが、芥川龍之介から激励を受け感激し、そのことが後々まで影響したと自著に記している。『右門捕物帖』『旗本退屈男』など主に江戸時代を舞台にした時代小説を発表し、その当時の花形作家となる。しかし、自らの体力を削って無理な執筆を重ね、そのため健康を害してしまい、若くしてこの世を去った。その死は、現在でいうところの過労死であるといわれている。。 また、小説家として成功した後は弟や妹一家を東京に呼び寄せ、家計の面倒も見たという。佐々木の代名詞ともなった作品『旗本退屈男』は、昭和5年にこれを読んだ市川右太衛門が気に入って映画化。以後右太衛門の主演代表作となり、計31本の大ヒットシリーズとなった。以来、現在に至るまで度々映画やテレビドラマ化され高い人気を得ている。 佐々木の『右門捕物帖』は、嵐寛寿郎(アラカン)と山中貞雄によって「和製シャルロック・ホルムス」と銘打ち、『むっつり右門』シリーズとして映画連作された。嵐寛寿郎は晩年、「聞書アラカン一代 - 鞍馬天狗のおじさんは」(竹中労、白川書院)の中で、次のように語っている。 主人公の「むっつり右門」というあだ名、バスター・キートンを手本にした無口なキャラクター、人差し指を立ててあごに手を持っていく癖、これらはすべてアラカンが創作したものである。 また登場人物の「あば敬(アバタの敬四郎)」、「ちょんぎれの松」も、アラカンや山中が創ったもので、映画に合わせて佐々木が原作小説に逆輸入したキャラクターである。「あば敬」の「村上」という姓も、映画でこれを演じた尾上紋弥の本名が「村上」だったことに因んでアラカンが思いつきでつけた。「ちょんぎれの松」の「ちょんぎれ」も、山中の口癖から採ったものだった。『右門捕物帖』の設定は、このように嵐寛寿郎プロダクションで先行して創作され、佐々木の原作に採り入れられていったのだが、当の佐々木は怒りもせず、「今度の映画どうなる?」とアラカンに聞いてきて、あべこべに映画の内容を小説のネタにしていた。アラカンはこれについて「相互扶助や」と笑っている。これら嵐の談話が、映画関係の本に引用されることもあるが、実際には「むっつり右門」というあだなは小説の第一作で登場している。嵐のハッタリか記憶違いである。原作小説を読んていれば間違えそうにないことを平然と語っているので、聞き書きはあくまで、嵐がそう主張していると解釈すべきであろう。(以上、すべて嵐寛寿郎版)(以上、すべて市川右太衛門版)
出典:wikipedia
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