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丸木舟

丸木舟(まるきぶね)または独木舟は、巨木を刳りぬき一本の木で成形され、梁もしくはわずかなコベリを付ける以外付属構造物を持たない舟、いわゆる単材刳舟であるカヌーを主に指す。しかし、刳りぬき部材を前後に継いだり、左右に継いだり、刳舟の両側に舷側板を継ぎ足したり、刳った舷側に船底板を組み合わせたりと、さまざまに複材化したものも、丸木舟と呼ばれる。水上での最初の乗り物として、太古の昔より用いられたものであるが、モノコック構造であり(特に単材刳舟は)壊れることが無く、水に沈むことも無いので安全性が高く、後に大型の船舶が登場しても一定の役割を担い続けてきた船である。古代、歴史時代、現存のものを含め、多くの例を占める単材刳舟は、一本の丸太を刳りぬいて造られるものであり大きさは材料となる木で制限され全長5~8メートル程度が一般的である。だが、大阪市西淀川区大仁町鷺洲から発掘された古墳時代と推定される全長11.7メートルのクスノキの刳舟など10メートルを越す大型のものも存在した。複材刳舟のうち前後継ぎのものに、大阪市今福鯰江川の三郷橋(現・城東区今福西1丁目)で大正6年(1917年)5月に出土した刳舟があり、全長13.46メートル、全幅1.89メートルだったとされるが空襲で焼けてしまった。また浪速区難波中3丁目の鼬川で、明治11年(1878年)に出土した残存長12メートル程の刳舟も空襲で焼けてしまったが、当時日本に在住していたモースも見学しておりスケッチや写真などが残されている。他に、天保9年(1838年)愛知県海部郡佐織町で出土した刳舟は残存していた長さが十一間二尺(20.6メートル)あったといわれている。これら三例の前後継ぎの複材刳舟はいずれもクスノキ製とされている。日本での先史時代の丸木舟の発見例はおおよそ200例ほどで、その分布は関東地方に最も多く150例近くあり、そのうち千葉県での発見例は100例を数え日本全体の半分を占める。各地域での発見例では、千葉県北東部の縄文時代のラグーン(潟湖)が湖沼群として残る栗山川中流域での出土がことに多く、流域には山武姥山貝塚などの貝塚も分布している。次に多いのが滋賀県の琵琶湖周辺で25例ほどあり、福井県から島根県にかけての日本海側がこれにつづく。また、大阪湾では古墳時代のものと推定される大型のものの出土例が何例かある。日本の先史時代の丸木舟の出土例の多くは縄文後・晩期のものであるが、縄文早期や前期の出土例もある。これまで縄文前期の丸木舟として、福井県若狭町の鳥浜貝塚、京都府舞鶴市の浦入遺跡、島根県の島根大学構内遺跡、長崎県多良見(たらみ)町の伊木力(いきりき)遺跡、埼玉県草加市の綾瀬川や千葉県多古町の栗山川流域遺跡群などの出土例が報告されており、2013年には千葉県市川市の雷下遺跡(かみなりしたいせき)で、日本最古の縄文時代早期のものとみられる丸木舟が出土した。このうち、千葉県多古町の栗山川流域遺跡群で1995年に出土したムクノキの丸木舟は全長が7.45メートルあり、京都府舞鶴市の浦入遺跡で1998年に出土したスギの丸木舟の現在長は4.4メートルであるが全長8メートル、幅0.85メートルと推定されている。また、埼玉県草加市の綾瀬川出土や千葉県市川市の雷下遺跡出土のものもこれに次ぎ、このような大型の丸木舟は海洋での使用が十分可能であり、縄文前期には人々は、丸木舟に乗って島々に出かけていたと推測される。なお、縄文時代の舟材に鳥浜貝塚、浦入遺跡や島根大学構内遺跡の出土例のようにスギ材が使われるのは稀であり、東日本での出土例ではイヌガヤ、ムクノキ、クリ、カヤなどが使用されている。古墳時代の大型の丸木舟にはクスノキの使用例が目立つ。山形県東田川郡藤島町(現・鶴岡市)で、奈良・平安時代のものとされる長さ11.5メートルのスギの刳舟が出土しており、大阪市出土の古墳時代のものに次ぐ大きさのものとされている。富士五湖ではこれまで9艘の丸木舟が見つかっている。富士河口湖町の野鳥の森公園に展示してあるものは全長約10メートル、幅約0.8メートルと山梨県内最大級、鎌倉時代のものと推定されている。丸木舟は、壊れない、沈まない、という特徴を持ち、大型の船舶が登場して後も一定の役割を担っていた。しかし近年では繊維強化プラスチック(FRP)の小型船舶の登場や、材料となる大木が得難くなったことなどにより、次第に過去のものとなりつつある。このようなことから、以下の物件が重要有形民俗文化財に指定されている。また、「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」として、「ドブネの製作工程(新潟県)」「種子島のまるきぶねの製作習俗(鹿児島県)」が選択され、「津軽海峡及び周辺地域における和船製作技術(青森県)」が重要無形民俗文化財に指定されている等、有形無形の民俗資料は数多くある。琉球王国で使用されていた船舶や舟艇のうち、大型構造船である進貢船はジャンクであり、やや小型の馬艦船(マーラン船)もそれに近い構造を持っていた。また、奄美群島の板付(イタツケ、イタツキ)や小早船(クバヤ)、沖縄本島北部のタタナー(二棚船)、大宜味村の祭ウンジャミに登場するハーリー船、八重山諸島の豊年祭に登場するパーレー船など和船に類似する構造を持つ船もあったが、それより南で用いられていた小型のサバニは全て丸木舟(クリブニ)であった。丸木舟構造のサバニは、わずか2~3名を乗せることができる程度の大きさで、櫂で操縦する小舟であるが、明治期以後、アギヤーと呼ばれる追込網漁の出現と進展に適応して大型化し、造波抵抗を除去するための工夫と配慮がなされるなど、船型を洗練させた。その結果、凌波性とともに高速性が向上し、サンゴ礁域のような障害の多い水域で操業するのに優れていた。この海域では現在までアウトリガーカヌーが広汎に使用されている。現在では板材を使用したものやFRP艇が多いが、歴史的には丸木舟が多く用いられた。また船底に刳り抜き材を用い、舷側や船首、船尾に別の材を付加して結び合わせるものも多い。アウトリガーカヌーの起原はよくわかっていないが、東南アジアの島嶼部からオーストロネシア語族の拡散とともに広がっていったことは確実とみられる。丸木舟から発展したという説と、中国で発達したいかだから発展したという説があるが、史料に乏しく定説には至っていない。いわゆるインディアンのカヌーは丸木舟がほとんどであった。

出典:wikipedia

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