ジャンピューターは、アルファ電子が開発したコンピュータ相手の麻雀ゲームである。基本はコンピュータとの2人麻雀である。2人プレイの場合でも同様で、1ゲーム毎に交互にプレイする。ゲーム開始時の持ち点は30,000点、持ち時間は30,000であり、プレイヤー側のツモ待ちや牌捨ての間に100ずつ減点される(1秒間に300〜400くらいの速さ)。ツモ、ロンした場合は上がり点の分だけ持ち点および持ち時間に加算されるが、逆にコンピュータが上がった場合は上がり点の分だけ持ち点および持ち時間が減算される。流局の場合は持ち点および持ち時間がそのままで次のゲームに移る。和了または流局時に持ち時間が0以下になるとゲームオーバーとなる。仮にプレイヤーが上がったとしても持ち時間がマイナスとなれば同様にゲームオーバーとなるため、いかに素早くツモや牌捨てを行うかがこのゲームのポイントである。新宿にあった三立技研というメーカーを通じて販売されたが、これはアルファ電子が同社からのバックアップによって開発資金を得ていたという背景がある。麻雀を題材としたアーケードゲームでは既にデータイーストの「テレジャン」やIPM(後のアイレム)の「PT麻雀」といった作品が登場していた。しかし、両作品とも麻雀本来の内容ではなく、この「ジャンピューター」こそが初の麻雀ゲームと言える。「ジャンピューター」成功の大きな要因となったのは、当時数多く存在したゲーム喫茶の存在である。元々、喫茶店の客層は若年層が入ることは少なく、一般的には中高年層が客層の中心である。この「ジャンピューター」もそういった年齢層に受け入れられたのが成功の大きな要因と言えよう。しかし成功したきっかけとして、ただ受け入れられたという要因だけではない。もう一つの要因としては、「ジャンピューター」が上がり役によって変化する得点制によるゲームシステムではなく、1回の場に制限時間を設定したタイム制のゲームシステムを採用しているという点である。これにより、サラリーマンなどの時間潰し目的に喫茶店に行き、気軽にコーヒーでも飲みながら「ジャンピューター」で時間を潰すべく、制限時間がある限り何度もゲームが続けられるというシステムが完成しているのである。また操作方法においても「ジャンピューター」は大きな成功を収めている。ゲーム中、それぞれの牌にはA〜Nまでのボタンが振り分けられていると共に、コントロールパネルにはリーチ、ロン等、麻雀を打つ上で必要な操作が全19個のボタンで全て振り分けられている。これはそれまでのレバーとボタンを中心としたビデオゲームの基本操作方法の概念を塗り替えた、まったく新しいアイデアである。その後、一般的にマージャンパネルと呼ばれる入力デバイスを初めて採用したがこの「ジャンピューター」である。このアイデアは他の麻雀ゲームだけでなく、後に数多く生み出される脱衣麻雀ゲームを支える基盤となり、現在に至るまで、姿・形を変えつつも長らく使用されている。本格的な麻雀ゲームとしてヒットした同作だが、販売元が三立技研という名前であるため、当時のゲームメーカーのサンリツ電気(現シムス)の作品と間違えて紹介されたり、タイトーがライセンスを得てリリースした「T.Tマージャン」と混同され、タイトー開発の作品として紹介されるなど、様々な間違いや混乱が生じていることが多い。高い評価を得た同作であったが、ヒット作へと成長するには、もはや三立技研のような小さいメーカーでは対応しきれない状態であった。そのため三立技研はライセンス許諾を出すことになり、これにタイトー、セガ(後のセガ・インタラクティブ)、日本物産、シグマ(後のアドアーズ)といった、当時の有力メーカーが揃って製造許諾を得ることになった。しかし、当時のヒット作の宿命ともいえるコピーヤー問題に頭を悩ませることになってしまう。事の始まりは1981年6月。コピーヤーが「ジャンピューター」ならぬ「ジャンピュータ」という名称で商標登録しているとし、オルカ、G.G.Iといったメーカーが商標使用料をオペレーターから徴収するという問題が発生。その後の調査で「ジャンピュータ」という商標については自動車用電機メーカースタンレー電気が1978年10月に商標登録していることが分かり、それをコピーヤーがスタンレー電気から業務用ゲームについてのみ、コピーヤー側に1981年5月分割譲渡されていたことが分かった。その為、ライセンス許諾を得ていたタイトーはテーブル筐体向けに紹介された同社のゲームの名称にちなんで「T.Tマージャン」に、日本物産は「コンピューターマージャン」へとタイトルを変更することになり、最終的には1981年7月に三立技研が分割された商標権を持っていたG.G.Iから商標を買い取るという形で問題を収束することとなった。だが「ジャンピューター」は多くの無名コピーヤーにとっては、良い稼ぎ手となったため勝手な続作、コピー品が数多く氾濫し続けることになる。更に大阪にあったロイヤル電子というメーカーがリリースしたBETタイプの「ロイヤルマージャン」のように亜流作にもかかわらずヒット作が生まれるなど、正当な権利を持っていたはずの三立技研がそれら亜流ジャンピューターに飲み込まれてしまい、遂に同社が業務用ゲームから去って行くという状態になってしまった。多くのコピー作品に悩まされ続けた「ジャンピューター」だったが、その後のアーケードゲームに残した影響力は大きい。三立技研の去りし後、その版権を受け継いだアルファ電子は1985年6月、続作となる「パーフェクトジャンピューター」をリリース。この「パーフェクトジャンピューター」はマージャンパネルの代わりにレバーとボタンによる操作となり、ビジュアル面がパワーアップしただけでなく、4人同時打ちを可能としていた。また先に述べたように脱衣麻雀ゲームの成功はこの作品無しには無かったことである。開発元であったアルファ電子もまた姿を消していくことになってしまうが、1996年9月にはダイナックスから「ジャンピューター'96」という作品も登場するなど、その名は引き継がれ、多くのプレイヤーの記憶に残っている。また、いわゆるゲーム賭博場で使用される麻雀ゲーム機を「ジャンピュー」と呼ぶのも、この機種の名残である。
出典:wikipedia
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