ディナール(/)とは、3つのユーゴスラビア(ユーゴスラビア王国、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国、ユーゴスラビア連邦共和国)の通貨。ディナールの補助単位はパラ(/)で、1ディナールは100パラ。デノミは7回行われ、うち5回は1990年 - 1994年のハイパーインフレーションで行われている。8つのディナールには、それぞれ異なった名前とISO 4217コードが与えられている。連邦が崩壊した1990年初頭までは、ユーゴスラビアには4つの公用語があった。各言語での表記は以下の通り。Note:スラヴ語派では複数名詞が複雑である。この表に示したものは代表例であり、詳しい文法は「」などを参照。ディナールは、元々セルビアの通貨だった。1918年にセルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国が成立。クローネ(1ディナール = 4クローネ)と共にクロアチア、スロベニア、ボスニア・ヘルツェゴビナに流通することになった。セルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国の名で硬貨と紙幣発行されたのは1920年からで、それまではセルビア王国の硬貨と紙幣が流通していた。1929年には国号がユーゴスラビアに変わり、通貨に書かれる名前も改められた。1931年、為替レートが1アメリカ・ドル = 56.4ディナールと定められた。このレートは、1933年には44ディナールに変更された。1937年、旅行者向け為替レート250ディナール = 1イギリス・ポンドが確立された。1941年に、ユーゴスラビアからクロアチア独立国(ナチスの傀儡国家)が独立を宣言。クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ地域ではディナールと等価のクーナが発行され、ユーゴスラビアを占領したブルガリアのレフ、イタリアのリラ、ドイツのライヒスマルクもこれら地域で流通した。1944年、ユーゴスラビアは再結成されると、セルビア・ディナール、クロアチア・クーナや占領国の通貨に代わって、ユーゴスラビア・ディナールが登場した。交換レートは、1ユーゴスラビア・ディナール = 20セルビア・ディナール = 40クーナ。1945年5月には、50ディナール = 1米ドルの固定レートが設定されたものの、レートが維持されることはなかった。1966年1月1日、通貨が100分の1に切り下げられた。この通貨は決して安定していたわけではなく、年15 - 25%のインフレーションに悩まされた。1980年代、インフレ率の上昇は加速し1990年にデノミネーションが行われた。二回目の通貨切り下げは、1990年1月1日に行われ、通貨が1万分の1に切り下げられた。この頃、構成国はユーゴスラビア社会主義連邦共和国から脱退しようとしていた。6つの共和国のうち4国は、独立を宣言し独自の通貨を発行し始めた。この通貨は、「ユーゴスラビア社会主義連邦共和国」と複数の言語で記された最後の通貨となった。クロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナのセルビア人勢力支配地域では、ユーゴスラビア・ディナールと等価のクライナ・ディナール、スルプスカ・ディナールが流通していた。3回目の通貨切り下げは、1992年7月1日に行われ、通貨が10分の1に切り下げられた。この頃からハイパーインフレーションが始まった。このディナールは、当時のユーゴスラビア連邦(今日のセルビアとモンテネグロ)から発行された。4回目の通貨切り下げは、1993年の10月1日に行われ、通貨が100万分の1に切り下げられた。このデノミでもハイパーインフレーションは収束せず、通貨は3ヶ月しか持たなかった。5回目の通貨切り下げは、1994年1月1日に行われ、通貨が10億分の1に切り下げられた。この通貨は、ユーゴスラビア・ディナールの中で最も早く下落し、わずか1月で交換された。1994年1月24日、ノビ・ディナール(キリル文字:。ノビは「新」の意味)が登場した。これはディナール通貨の切り下げではなかった。ノビ・ディナールはドイツ・マルクと等価で固定された。ノビ・ディナールの登場した日、ドイツ・マルクと1994年のディナールの相場は1 マルク = 1300万ディナールだった。新通貨に固定されていないにもかかわらず、1994年のディナールの相場は下落せず、大体 1YUM = 1200万YUG だった。ちなみに、1990年以前のディナールと比較すると、1 YUM = 1200 (1.2) YUDである。「ノビ」は2000年に外された。1999年11月6日、モンテネグロはユーゴスラビアはユーゴスラビア・ディナールに加えてドイツ・マルクも法定通貨だと決定した。2000年11月13日には、ディナールは法定通貨から外れドイツ・マルクが唯一の法定通貨となった。2003年、ユーゴスラビアが消滅し、最後までユーゴスラビア・ディナールを使用していたセルビアがセルビア・ディナール(ユーゴスラビア・ディナールと等価)に切り替え、ユーゴスラビア・ディナールの歴史は幕を閉じた。"末期の1ディナールは初期の120,000,000,000,000,000,000,000,000,000ディナール(12穣)。"1920年、セルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国の名の刻まれた硬貨が初めて発行された。5パラ(亜鉛)、10パラ(亜鉛)、25パラ(ニッケル青銅)硬貨である。1925年には、50パラ(ニッケル青銅)、1ディナール(ニッケル青銅)、2ディナール硬貨(ニッケル青銅)が登場した。1931年からは、硬貨にはユーゴスラビアの名が刻まれ、10ディナール(銀)、20ディナール(銀)硬貨が登場。1932年には、50ディナール(銀)硬貨が登場。1938年、50パラ(アルミニウム青銅)、1ディナール(アルミニウム青銅)、2ディナール(アルミニウム青銅)と10ディナール(ニッケル)と大きさを小さくした20ディナール、50ディナール銀貨が発行された。これらが、第二次世界大戦前に発行された最後の硬貨である。1945年、50パラ、1ディナール、2ディナール、5ディナール硬貨(いずれも亜鉛)が発行された。1953年にはこれらはアルミニウム製に切り替わった。1955年、10、20、50ディナール(アルミニウム青銅)が加わった。1966年、5、10、20、50パラ(いずれも黄銅)と、1ディナール(銅ニッケル、1965年付)が発行された。1971年には、2、5ディナール(ニッケル黄銅)が発行され、1976年には10ディナールが銅ニッケル製に変わった。1981年には20パラ以下の硬貨が発行停止され、翌年には25、50パラ(青銅)が発行される。しかし、1985年には10ディナール未満の硬貨が発行停止され、黄銅製の10、20、50、100ディナール硬貨が発行された。これら硬貨は1989年まで発行されていた。1990年、10、20、50パラ、1、2、5、ディナール硬貨が発行される。しかし、2、5ディナール以外は1991年に発行停止された。2、5ディナール硬貨についても1992年は少数発行されただけである。1992年、1、2、5、10、50ディナールが発行された。5ディナールまでは黄銅、10、50ディナールはニッケル黄銅である。硬貨にはユーゴスラビアと刻まれていた(ラテンアルファベットで"Jugoslavija"、キリル文字で"Југославија")他は、装飾のない酷く簡単なものだった。1993年、1、2、5、10、50、100ディナールが発行された。これらは全てニッケル黄銅製である。500ディナール硬貨も鋳造されたが、発行されなかった。これらの硬貨は、"FR Yugoslavia"(ラテンアルファベットで"SR Jugoslavija"、キリル文字で"СР Југославија")と刻まれていた以外、5番目のディナールとよく似ていた。超短期間しか用いられなかったこのディナールでは、1ディナール黄銅貨が発行されたのみである。1994年、1、5パラ(黄銅)と10、50パラ、1ノビ・ディナール(ニッケル黄銅)が発行された。2000年には「ノビ」の字が除去され、新しく50パラ、1、2、5ディナール(黄銅)が発行された。1920年、セルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国国立銀行が10、100、1,000ディナール紙幣を発行した。1929年に国名がユーゴスラビアに変更されると、新しい10、100ディナール紙幣が発行された。1000ディナール紙幣は1931年に新しいものに変わり、1935年からは500ディナール紙幣が登場した。1944年、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国が1、5、10、20、50、500、1,000ディナール紙幣を発行した。1946年、連邦人民共和国国立銀行から50、100、500、1,000ディナール紙幣が新しく発行された。1950年には、5,000ディナール紙幣が登場した。1966年(紙幣の日付は1965年)に通貨切り下げが行われ、5、10、50、100ディナール紙幣が発行された。1970年には、500ディナール紙幣が、1974年には20、1000ディナール紙幣が登場した。1985年、新しいシリーズの紙幣が発行され、5,000ディナール(肖像:ヨシップ・ブロズ・チトー)が新たに加わった。インフレーション悪化のため、1987年には2万ディナール紙幣が、1988年には5万ディナール紙幣が、そして1989年には、10万、50万、100万、200万ディナール紙幣が登場した。1990年、通貨切り下げが行われ、10、50、100、200、500、1000ディナール紙幣が発行された。その紙幣のいくつかは、デザインがデノミ前のそれに対応する紙幣とよく似ていた。1991年には、5000ディナール紙幣があらたに登場した。1992年、通貨切り下げが行われ、100、500、1000、5000、1万、5万ディナール紙幣が発行された。再び、デザインはデノミ前のシリーズと似ていたが、今回は等価のデザインに似せたわけではなかった。1993年には、10万、50万、100万、1000万、5000万、1億、5億、10億、100億ディナールという非常に大きな数字を持つ紙幣が新たに発行された。1993年、さらに通貨切り下げが行われたものの、5000、1万、5万、50万、500万、5000万、5億、50億、500億、5000億ディナール紙幣が次々発行された。1万ディナール紙幣を除いて5ばかりという不思議な組合せは、ハイパーインフレーションで国が疲弊していたためである。1994年1月、通貨切り下げが行われ、10、100、1000、5000、5万、50万、1000万ディナールが次々発行された。この通貨は、次のディナールが発行されるまでわずか数週間しか流通しなかった。1994年1月24日、1、5、10ノビ・ディナール紙幣が発行された。1996年には第二シリーズとして、5、10、20、50、100ノビ・ディナール紙幣が発行された。2000年、「ノビ」が取り除かれた、10、20、50、100ディナール紙幣が発行される。翌2001年には新たに200、1000ディナール紙幣が登場。さらに翌2002年には5000ディナール紙幣が登場した。balkanofil.ru/index.php/bills/yugoslavia.html - カタログやギャラリーノートユーゴスラビア
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