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庄ノ城

庄ノ城(しょうのじょう)は、富山県砺波市庄川町庄(旧・庄川町)に在った日本の城。「壇城」「庄城」とも云う。市史跡。庄川右岸に向かってせり出した「壇の山」と呼ばれる台地上(標高136m)に在った山城。規模は東西約100m、南北約90m。台地全体が城域となっている。詰城としては南東1.5kmの距離に越中国千代ヶ様城が在り、城主は平時には庄ノ城を居館とし、戦時は尾根伝いの道を通って千代ヶ様城を使用したものと考えられている。また、出城として越中国寺家新屋敷館が在る。詳しい築城年代は不明。南北朝期に足利一門の有力者桃井直常が拠って礪波郡一帯に越中国一乗寺城、加賀国松根城、越中国井口城、越中国野尻城などの支城網を築き支配したと云う。また、鎌倉期から戦国期にわたり礪波郡で勢力を誇った石黒氏の分家が「壇城」に拠っていた(壇石黒氏)と云う。石黒氏が築いた後に桃井直常が入ってその後に再び石黒氏が入ったのか、または桃井直常が築いて後に石黒氏が入ったのかは判然としない。直常が居城とした城の一つに越中国松倉城が在るが、親桃井派であった椎名氏の居城としてそれ以前もそれ以降も使用されている事から、石黒氏の支援を受けて在城していたとも推測出来るが。近年の調査で炭化物が見つかり幾度か火災に遭っている事が判明しており、その事から庄ノ城の興廃の程が窺える。庄ノ城が佐々成政に攻められ落ち延びる途中で城が燃えているのを見た神保長職の奥方が狂死し、後に瑞龍寺(富山県高岡市)の閑雲禅師と地元民により石碑が建てられた。この石碑は「御上様塚」と呼ばれ今も残っている(市史跡)。西側は温泉施設により削られている。それ以外もほぼ田畑になっており、あまり面影は無い。案内板が立てられている。

出典:wikipedia

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