ヘルベルト・グレーネマイヤー(Herbert Grönemeyer、本名:Herbert Arthur Wiglev Clamor Grönemeyer、1956年4月12日‐)は、ドイツの歌手、作曲家、俳優。現在ドイツでもっとも人気のある歌手の一人であり、1984年以来発表したすべてのアルバムがドイツのヒットチャート1位を獲得している。ドイツ語による楽曲がほとんどのため日本での歌手としての知名度は低いが、俳優として出演した映画『U・ボート』でのヴェルナー少尉役で知られる。ヘルベルト・グレーネマイヤーは3人兄弟の末っ子としてゲッティンゲンに生まれる。生後四ヶ月で一家はボッフムに引っ越し、そこで育つ。音楽好きな母方の親類の影響で8歳でピアノを習い始め、学校でも合唱団に加わっていた。高校在学中に、俳優である友人とともにボッフムの劇場でピアノ演奏のアルバイトをして初めての稼ぎを得た。その劇場ではコレペティトールとしても働き、18歳の時初めて曲を作る。そこで演技の才能も見出され、舞台に立つようになった。彼は演劇学校に通った経験はなかったが、テレビドラマにも出演し始め、1977年には映画に初出演。翌年、未来の妻となる女優のアンナ・ヘンケルと知り合う。同年ジャズロック・バンドのリードヴォーカルとして、初めてのレコードを発表した。1979年には出演したテレビドラマで広く知られるようになる。同年、シュトゥットガルトの劇場で『ヴェニスの商人』の音楽を担当。また初めてのソロアルバム『"Grönemeyer"』を発表するが、酷評された。1981年には二枚目のアルバム『"Zwo"』を発表するが、これも興行的には失敗に終わる。しかし同年ヴォルフガング・ペーターゼン監督の映画『U・ボート』に出演、世界的な大ヒットとなり俳優として注目された。翌年には東西ドイツの合作映画『"Frühlingssinfonie"』でナスターシャ・キンスキーと共演、ロベルト・シューマンを演じて俳優業は順調だった。しかし彼がもっとも力を入れていた音楽活動では不遇が続き、この間アルバムを2枚出すもコンサートには客が入らず中止が相次ぎ、1983年にはついにレコード会社との契約を打ち切られた。1984年、EMIと契約して再起を期し、アルバム『"4630 Bochum"』を発表。大ヒットとなり、79週にわたってドイツのアルバム売上げチャート100位以内をキープした。当時マイケル・ジャクソンの『スリラー』が世界的大ヒットであったにもかかわらず、『"4630 Bochum"』はその年ドイツ国内でもっとも売れたアルバムとなった。そのアルバムの中のシングル曲『"Bochum"』と『"Männer"』で流行歌手としての彼の地位はゆるぎないものとなった。なおBochumは彼が育ったボッフム、4630とはその郵便番号(当時)である。1985年、映画『"Väter und Söhne"』でブルーノ・ガンツ、ジュリー・クリスティ、バート・ランカスターと共演。今のところこの作品が俳優として最後の出演映画である。1986年に発表したアルバム『"Sprünge"』には当時のヘルムート・コール政権を風刺するような曲が収録されており、政治的立場の表明として注目された。同年反核を訴えるロックフェスティバル"Anti-WAAhnsinns-Festival"に参加、二日間で10万人の聴衆を集めた。1988年にはアルバム『Ö』を発表。初めて英語詞の曲を収録し、初の海外ツアーとしてカナダ・ツアーを行った。1989年、ベルリンの壁崩壊に合わせてアルバム『"Luxus"』を発表。1993年1月20日、すでに二児をもうけていたアンナ・ヘンケルと結婚。同年アルバム『"Chaos"』を発表、これもヒットチャート1位を獲得。ツアーには60万人を動員した。1994年には非英語圏のアーティストとして初めてMTVのMTVアンプラグドに出演。1998年には家族とともにロンドンに移住したが、音楽活動はドイツ語で続けた。同年アルバム『"Bleibt alles anders"』を発表、4週間足らずでプラチナ・ヒットとなった。ツアーには35万人を動員。しかしこの年11月に兄と妻が相次いで死去し、ショックのあまり1年間の音楽活動休止に追い込まれた。2000年のハノーファー万博に合わせてオーケストラ用の曲を発表(万博自体は興行的に大失敗に終わった)。2002年、アルバム『"Mensch"』を発表。大ヒットとなり、同名のシングル曲でも初めてヒットチャート1位を獲得した。その年に始めたツアーは2003年7月に終了する予定だったが、動員150万人を記録、さらに2005年1月まで延長された。このツアーの様子を収めたDVDもその年の売上げ1位を記録。2006年の2006 FIFAワールドカップ・ドイツ大会に合わせてシングル『"Zeit, dass sich was dreht"』を発表。この曲はマリ共和国の歌手との合作だった。6月9日のミュンヘン・アリアンツ・アレナにおける開会式でも、全世界が注目する中この曲をライヴで披露した。この曲も大ヒットとなり、彼にとって2度目のヒットチャート1位となったが、地元ドイツ代表はこの大会3位に終わった。彼は自身が大のサッカー好きでもあり、この年10月、VfLボッフムに加入契約し、会員番号4630を得た。これは1984年の彼の大ヒットアルバムにかけた洒落である。『"Bochum"』はこのチームの応援歌にもなっている。2007年にはアルバム『"12"』を発表。シングル曲『"Lied 1 – Stück vom Himmel"』は彼に3度目のヒットチャート1位をもたらしている。グレーネマイヤーは社会問題に関心が深く、1985年にはバンド・エイドにならってドイツのアーティストに呼びかけて「"Band für Afrika"“」を結成、収益金をアフリカ支援に募金した。2005年にはボブ・ゲルドフの呼びかけに応じてドイツ国内で貧困対策キャンペーンを展開している。(アルバムのみ)
出典:wikipedia
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