行燈山古墳(あんどんやまこふん/あんどやまこふん、行灯山古墳)は、奈良県天理市柳本町にある古墳。形状は前方後円墳(帆立貝形古墳とも)。実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「山邊道勾岡上陵(やまのべのみちのまがりのおかのえのみささぎ)」として第10代崇神天皇の陵に治定されている。本古墳は、龍王山の斜面の先端を利用して造られており、平野の方に前方部を北西に向けている。後円部がより高い山側にある。三輪山の山麓に築かれた大和・柳本古墳群の中でも、渋谷向山古墳(現景行天皇陵)に次ぐ大きさであり、現崇神天皇陵(山辺道勾岡上陵)に比定されている。その政治勢力は、三輪王朝とか初瀬王朝と呼ばれている。初期ヤマト政権の大王陵である。幕末の文久の修陵の開始時には、本古墳が景行陵だったのが、修陵事業の完成直前の1865年(慶応元)2月に、崇神陵に取り替えられた。これなどは、考古学の遺跡名に陵墓名を持ち込むと混乱を引き起こす原因になる好例である。宮内庁の管轄する古墳であるので、研究者や国民は、自由に立ち入りできない。墳丘は全長が242メートル、正円形で3段築成の後円部は直径158メートル、高さ23メートル。後円部頂上は平坦で円形である。前方部正面は、わずかであるが弧状をなしている。その頂上は、くびれ部に向かって少しずつ低く坂のように整形されている。後円部直径と前方部直径比は、1:0.8 程度である。渡り土堤が後円部南側と前方部にあり、築造当初から設けられていたと推定されている。周濠の形状は左右対称の盾形とされている。遙拝所に続く参道の両側に2基の陪塚があり、やはり前方後円墳である(写真の左上隅に見える)。北側が北アンド山古墳(全長120m)、南側が南アンド山古墳(全長60m)で、それぞれ行燈山古墳の2分の1、4分の1の全長となっている。国道169号を渡った西側にある大和天神山古墳も陪塚とされ、前方部を南に向けた前方後円墳であるが、国道建設時に東側半分が削られている。また、すぐ東に櫛山古墳がある。
出典:wikipedia
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